【講談のあらすじ】笹川繁蔵(3)
岩松を捕縛した裏には、かくまった笹川にも類を及ぼそうという飯岡の意図があるからだ、という蝮の六蔵という男の意見を聞いた笹川繁蔵は、単身、助五郎と決着をつけようと考える。子分どもも放っては置けず、天保11年8月15日、斬り込みが決まる。助五郎の妾宅に斬り込んだ笹川一家だが、助五郎は危機一髪で逃れる。多数の死傷者を出し、その後も太田の賭場を荒らされた飯岡は、復讐を計画し、翌天保12年8月、油断していた笹川へ大勢で押し寄せる。
ところが、笹川方では平手造酒が酒の飲み過ぎで体をこわして妙円寺というところに保養していた。8月23日、280名の飯岡方は、笹川の本拠・十一屋に向かう。
ここで、かつて潮来の松葉屋で花魁雛鶴と遊んでいたとき、飯岡の土鼠の茂助という男に因縁を付けられて、笹川の勢力、清滝に救われたことのある(このくだりを天保水滸伝「潮来の遊び」という。前半は落語「明烏」に似た展開)酒屋・荒生の留次郎の父・留吉(かつては銚子の五郎蔵の身内のやくざ)が笹川に内通、笹川は急遽邀撃の準備をする。繁蔵は妙円寺の平手にも知らせ、動くなと言うが、禁を破って酒を飲んでいた平手は遅れて手紙を読むと、喧嘩にかけつけてしまう(ほぼ中山安兵衛駆けつけの趣向)。途中、倒れて吐血、一文字則宗を杖に立ち上がってまた走る平手。
一方、出発しようとする飯岡方だが、一番隊長である洲崎の政吉が集合場所になかなか現れない。政吉は、かつて笹川の花会で繁蔵に恩義を感じて以来、その報恩と助五郎への義理の板挟みになって苦しんできた。この斬り込みで、自ら命を捨てて繁蔵を斬ってくる、と彼は妻のおきんに告げる。おきんは倅を殺して自害。政吉はその首を持って、飯岡の集合場所にやってくる。飯岡の志気は高まる。
押し寄せる飯岡方、笹川も鉄砲で反撃する。政吉は繁蔵と一騎打ちするが、駆けつけた平手に斬り倒される。繁蔵は助五郎を狙って土手へ向かう。飯岡は苦戦、荒町の勘太も繁蔵に斬られる。平手は奮戦するが、一文字則宗が鍔元から折れる。かつて千葉周作が、その刀を見て傷を指摘、実戦で使うなと諭していた一振りであった。竹槍に脇腹を刺され、平手は倒れる。飯岡は退却、助五郎は辛くも笹川の追撃を逃れる。平手は落命する。笹川一家は一時ほとぼりをさますためそれぞれ旅に出る。
上方に行っていた繁蔵はやがて帰り、単身助五郎を訪問する。成田の甚蔵らはこれを襲うが失敗する(このため一旦、助五郎から盃を返される)。繁蔵は、津宮の権太という身内の家に行った帰り、彼に悪意を抱く名主の平左衛門の手引きで待ち伏せていた甚蔵、三浦屋孫次郎によって暗殺されてしまう。
甚蔵とともに持ち帰った繁蔵の首に悪態をつく男らしくない助五郎のざまを見て、孫次郎はつくづく愛想がつき、助五郎に盃を返し(「座頭市物語」の山場はこのあたりがベースかも。いや、パクリってんじゃないっすよ。大衆文学には様式美ってものがありますからね)、そのまま首を持って笹川へやってくる。後家・お雪や勢力らの前に首を出して詫び、髷を落として仏門に入る孫次郎。名主・平左衛門も後悔し、繁蔵の葬儀を盛大に営む。
勢力富五郎は、女房を離縁し、親分の仇を取ろうとするが、助五郎にはなかなか手出しが出来ない。殴り込みをかけるが、惜しいところで長蛇を逸する。助五郎は八州廻りと組んで、勢力を金比羅山へ追いつめる。包囲された勢力は山上において鉄砲で自害する。
夏目の新助は、繁蔵の遺児・繁太郎を助けて成田の甚蔵を討つ。飯岡助五郎は、年を取って、それまでの生涯を悔いて出家し、死者たちの供養をし、長寿を保ったという。
(講談社昭和29年刊「講談全集」29巻より)
編:松井高志_2007
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