[い]で始まる語句・ことわざ
(謀を)帷幕(握)の内に謀をめぐらし、勝を千里の外に決する(いあくのうちにはかりごとをめぐらし、かちをせんりのほかにけっする):【意味】「史記」より。漢の高祖(劉邦)の部下であった名将・張良をさしていう。戦いの際に知謀が重要であることをいう。(講談・曾呂利新左衛門 :「またその帷幕の内に謀を廻らし、その意気を補った卿の力もまた尠くはない」、乃木将軍、柳生三代)
威あって猛からず(、勇にして撓まざる)(いあってたけからず):【意味】「論語」より。外面的な威厳がありながらも、なおかつ内に人情味・やさしさがあるという理想的な人格者の態度をいう。(講談・両越大評定、幡随院長兵衛、由井正雪:「實に威あつて猛からず、どう踏倒しの屑屋が値踏みをしても、三萬石の大名の價値は確か」、三家三勇士、岩見重太郎、慶安太平記、寛永御前試合、西郷南洲、落語・乳房榎)
いい嘘は方便(いいうそはほうべん):【意味】「嘘も方便」。嘘は罪悪だが、場合によっては役立つこともあるということ。(落語・御神酒徳利:「だけどね、いゝ嘘は方便といってね、お釈迦様もお許しンなった」)
いい職人はおいそれと仕事をしない(いいしょくにんはおいそれとしごとをしない):【意味】およそ、名人と言われるような腕のいい職人ほど、仕事にとりかかるのは遅いものである。往々にして仕事の遅い職人や宿題をしない学生、ぐうたらな会社員などが自己弁護のために使う言葉。(講談・三村次郎左衛門:「いい職人てのはおいそれと仕事をしないもんだねえ。そうだなァ、もう五月になるかなァ」)(同義)→とかく仕事の良い奴は怠ける、名人上手は仕事を嫌がる、技のできる人に限って怠ける
言い出し兵衛(いいだしべえ):【意味】「言い出しっぺ」のこと。最初にアイデアを出した人が自らその企画実行のリーダーになるものだ、ということ。(落語・蔵前駕籠、酢豆腐、居残り佐平次 :「だからよ、其処は俺が言ひ出しべえだな」)
家あれど帰り難く、国あれど奔り難し(いえあれどかえりがたく、くにあれどはしりがたし):【意味】故郷を裏切って他郷に来てしまったので、そこを追われるともはや帰るべきところも、心安らぐ場所もないのであるという、切ない状況をいう。(講談・太閤記:「最早鵜沼へは歸られず、清洲へは奉公叶はず、家あれど歸り難く、國有れど奔り難しと云ふのは拙者の身の上ぢや」)
家に争臣三人あるときはその家倒れず(いえにそうしんさんにんあるときはそのいえたおれず):【意味】大名に「うるさ方」の家臣が三人いるようであれば、きっと殿様の心得違いを諫めるので、その家はまず安泰であるということ。(講談・相馬大作:「家中人なきこと氷山のごとし。家に争臣三人あるときはその家倒れずと申すに、遊女を身受して、諸侯にあるまじき遊蕩無頼の君公を諫める一人の重役もなかったことは歎わしい」)
家に(の)鼠、国に盗賊(いえにねずみ、くににとうぞく):【意味】世の中には必ず泥棒や謀反人がいて、隙を狙っているので、備えあれば憂いはないということ。(講談・天一坊:「家に鼠、國に盗賊、此の世に如何なる謀反人がないとも限りませぬ」)(同義)→国に盗賊、家には鼠
家を富岳の泰きに治める(いえをふがくのやすきにおさめる):【意味】御家が富士の山のように安泰で揺るがない様子。(講談・安政三組盃:「しかしお家の悪人を一掃したということは、佐竹の家を富岳の安きに治めたるもの」)
厳めしく見えても脆き霰かな(いかめしくみえてももろきあられかな):【意味】川柳。江戸っ子の気性を言い表したもの。口は悪いが心の中に含むところはこれっぽっちもなく、人情にもろい。霰は降っている時ものすごい音を立てるが、やめば静かなもの。(落語・大工調べ、江戸見物:「厳然く見えても脆き霰かなと江戸ッ子の気性をあられに譬えて有るといふ事で」=よいよい蕎麦)(参照・類歌)→江戸っ子は五月の鯉の吹き流し口先ばかりはらわたはなし
意気相投ずれば昨日の敵も今日の味方(いきあいとうずればきのうのてきもきょうのみかた):【意味】敵対していた間柄でも、一旦和睦してお互いの心が分かるようになると、かえって強い連帯で結ばれた味方同士となる。(講談・猿飛佐助:「意気相投ずれば昨日の敵も今日の味方、塙団右衛門は三豪傑と大言壮語」)
生物には餌あり(いきものにはえあり):【意味】食えない食えないといっても、生き物には何かしら食うものはついて回るものだ、なんとかなるということ。(講談・清水次郎長:「まァいいや、生物には餌ありと云つて、どうにかなるだらうと思ふんだ」、落語・能狂言)
異国の者は偽り多し(いこくのものはいつわりおおし):【意味】外国人は信用できないものだという蔑視的な諺。要するに島国根性から出た表現である。(講談・太閤記:「異国の者は偽り多し、よくよく御思慮の程こそ望ましうござる」)
いざ鎌倉へ(いざかまくらへ):鎌倉幕府に一旦大事が起きると、御家人がたちまちはせ参じることから転じて、要するに一大事が起こることをいう。(講談・鉢の木:「稲の取り入れさておいて、いざ鎌倉へ、いざ鎌倉へ、いざ鎌倉へ。さても源左衛門その日の扮装いかにと見てあれば……」、西郷南洲)
砂子の黄金(いさごのこがね):【意味】ありふれたものの中から貴重な品が出てくることのたとえ。(講談・八百蔵吉:「泥中の蓮と申ませうか、砂子の黄金と称へませうか、誠に温順にして親父を大切に致し、孝行娘の評判高きお花」)
石が流れて木の葉が沈む(いしがながれてこのはがしずむ):【意味】川の流れに石が浮いて流れ、逆に木の葉が沈むように、正しいものが浮かばれず、世の中というものは、間違っているという例え。(講談・名医と名優 :「万一かれが参ったならば、石が流れ木の葉が沈むわ、たわけ」、落語・擬宝珠)
石の上にも三年(いしのうえにもさんねん):【意味】冷たい石の上にも三年座っていればその石は温かくなる。辛くても長いことじっと我慢していれば必ず報われる、という例え。(講談・寛永三馬術、水戸黄門、奉行と検校:「石の上にも三年と申しますが、こんな調子で由太郎は、十年間というものセッセと働きました」、落語・化物使い、三軒長屋)《い》
石部金吉金兜、叩けばカンカン音がする(いしべきんきちかなかぶと、たたけばかんかんおとがする):【意味】「石部金吉」は「堅物」(きまじめで遊びを知らない男)の代名詞。「金兜」は、更にこれを強調するために付け加えられた語。前半に続けて、「五徳手久金火箸」(ごとくてっきゅうかなひばし)ともいう。すべて金属製の道具。手久は金棒を格子状に組み、火に掛けて魚などを乗せて焼くための道具。(講談・笹野名槍伝、傑僧坦山、赤穂四十七士伝、新吉原百人斬り、落語・阪東お彦:「是れが又女嫌ひと云ふ堅い男で、堅いの堅くないのつて石部金吉金兜、五徳手久金火箸、堅餅の焼きざましより堅い」=派手彦)
医者の薬礼と深山のさくら、取りにゃ行かれぬ先次第(いしゃのやくれいとみやまのさくら、とりにゃいかれぬさきしだい):【意味】昔の医師の治療報酬と山奥にある桜は、「取りに行こうとして取れるものではない」つまり医師から請求するものではなく、先方の都合・了見次第で充分貰えるかどうか分からないものであった。(落語・姫かたり :「医者の薬礼と深山のさくら、取りにゃ行かれぬ先次第 第一に世間の習慣として『医者の薬礼と深山のさくら、取りにゃ行かれぬ先次第』」などと、当時の街歌にもうたわれた」)
衣食たりて礼節なる(を知る)(いしょくたりてれいせつなる):【意味】人(民)というのは、生活が豊かになって初めて道徳を心得、礼儀というものを弁えるようになるものだ、ということ。(講談・水戸黄門、天保六花撰 :「人間というものは、金がたまるとどことなく心にゆとりができるもので、衣食足りて礼節を知るとか」)(類義・参照)→恒産なきもの恒心なし、豊かならざれば礼整わず
石を抱いて淵に臨む(いしをいだいてふちにのぞむ):【意味】みすみす助かる可能性を捨てて死地に赴くような行為のこと。(講談・天保六花撰:「この流山へ帰ったのは、石を抱いて淵へ臨むにひとしいおまえ」、難波戦記)
(することなすこと)イスカの嘴の食い違い(いすかのはしのくいちがい):【意味】鳥の「いすか」の嘴が交叉していることから、計画と実際とが食い違って思い通りに運ばないことのたとえに使われる表現。(講談・安政三組盃、赤穂義士本伝:「どうもこれでは、することなすこと、どこまでもイスカの嘴のくいちがい、うまくいくとか気が合うとかするわけがございません」、太閤記、山中鹿之助、落語・牡丹燈籠)
いずれを見ても山家育ち(いずれをみてもやまがそだち):【意味】「菅原伝授手習鑑」より。菅秀才の身代わりに立てる子供を自分の教え子の中から探そうとする武部源蔵が、「どいつもこいつも田舎の子供で役に立たぬ」と嘆くセリフ。(落語・宿屋の仇討:「女出入りとくると、おたがいさまにそりゃアまァね、いずれを見ても山家育ちッてやつでね、あんまり女に縁のねえつら」)
伊勢海老も鎌倉海老も諸共に腰をかがめて入る大江戸(いせえびもかまくらえびももろともにこしをかがめてはいるおおえど):【意味】伊勢の海老も鎌倉の海老も腰をかがめて江戸に入ってくる=海老が腰を曲げているのは当たり前だが、それほど江戸は消費地として繁盛しているという意味の歌。(講談・梁川庄八:「伊勢海老も鎌倉海老も諸共に腰をかがめて入る大江戸 時は徳川家覇府を開いた始めで、朝日の昇る勢ひ」)
伊勢へ七度熊野へ三度愛宕山には月参り(いせへななたびくまのへさんどあたごやまにはつきまいり):【意味】京都の俚諺。一生の内に、お伊勢さまに七回、熊野三山へ三回、愛宕山には月に一度は参詣したいものだという望みをうたったもの。(落語・三人旅、百人坊主:「でもまぁ、伊勢へ七度熊野へ三度 愛宕さんへは月参り、てなことを言いまして、一生に一ぺんや二へんはお伊勢さんへお参りせないかんという」)
(火事に喧嘩に中っ腹、)伊勢屋、稲荷に犬の糞(いせや、いなりにいぬのふん):【意味】江戸の市中で多く目についたものの代表をいうことわざ。(講談・鈴木重八、薮原検校、八百蔵吉、落語・短命、鼠穴、火事息子:「昔から江戸の名物が『火事、喧嘩、伊勢屋、稲荷に犬の糞』と申しまして、火事というものが名物で」、江戸見物=よいよい蕎麦)
居候置いて合わず居て合わず(いそうろうおいてあわずいてあわず):【意味】居候は本人にとっても難儀だが、それを置く身にとっても割に合わないものだという川柳。(落語・素人占い:「居候置いて合わず居て合わず、是は置いては合いますまい。困るのは居候の方に権式があるのです」=きめんさん、乾物箱、湯屋番他)
食客亭主の留守にし候(いそうろうていしゅのるすにしそうろう):【意味】たちの悪い居候が主の留守中、女房に手を出したりすることもある、という川柳。(落語・孝行娘:「食客の上等(いい)のは沢山(たんと)無いね。食客亭主の留守にし候」=小烏丸)
急がずば濡れざらましを旅人の後より晴るる野路のむら雨(いそがずばぬれざらましをたびびとのあとよりはるるのじのむらさめ):【意味】旅人が濡れながら慌てて行った後で、野の道に降った村雨がさっと上がってしまう。急がなければ濡れずに済んだだろうに。不遇の時は辛抱が肝心だという道歌。太田道灌が「七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞ悲しき」という無名の少急女の示した歌への返しに作ったと言われる。(落語・道灌:「『急がずば濡れざらましを旅人の後より晴るる野路のむら雨か』『へぇ、よく似たことがあんなぁ』『なにが』」)
磯の鮑の片思い(いそのあわびのかたおもい):【意味】鮑の貝が片面しかないので、「片思い」の枕詞のようにして用いる。(落語・鮑のし、磯の鮑:「今日と云う今日は、ようようの思いで登(あが)つた、是が磯の鮑の片思いだ」)
板子一枚下は地獄(の海雀)(いたごいちまいしたはじごく):【意味】船乗り稼業は危険がつきものであるということ。(講談・潮田又之丞、清水次郎長、紀伊国屋文左衛門:「乗る時から生きて還れないといふ覺悟の上の仕事だらう、板子一枚下は地獄の仕事をする俺達は、さァといふ時にはかういう覺悟がなきやア宜い仕事は出來ねえ」、山中鹿之助、落語・野崎詣り、播州巡り)
徒らに事を好むは、これ匹夫の勇(いたずらにことをこのむは、これひっぷのゆう):【意味】やたらにけんかっ早いのは、英雄の資質ではなく、ただ思慮のない卑しい者が血気にはやるのと同じである。(講談・荒木又右衛門:「徒らに事を好むは、これ匹夫の勇と申すもの、愚かな事でござる、ワツハツハハハハ」)(参照)→暴虎憑河の勇
鼬の最後っ屁(いたちのさいごっぺ):【意味】鼬が敵に追われるとひどい悪臭のする屁を放って逃げることから、追い詰められた時に最後の非常手段をとってその場を逃れようとすることをいう。(落語・王子の狐:「一発鼻を貫ぬくような奴をパツと放つた、鼬の最後屁ということはよく申しますが」)
鼬の道(いたちのみち):【意味】鼬は一度通った道を二度と通らない。そのようにぱったりとある場所から遠ざかり、二度と現れず、連絡を取らないでいること。(講談・旗本五人男、新吉原百人斬り、爆裂お玉、落語・子別れ:「可哀相だけれども先方(むこう)の女を思い切つて、鼬の道で行かなくなつた、其の女に出会(でくわ)したんだから、俺だつて驚こうじやないか」、搗屋無間、お化け長屋、首提灯、立切れ、政談月の鏡)
板の間稼ぎ、枕探し(いたのまかせぎ、まくらさがし):【意味】ともにけちな盗人(女)のこと。前者は湯屋の板の間で他人の脱衣や持ち物を奪い、後者は旅客や遊客の就寝中、枕・蒲団の下の金品を盗る。(講談・西郷南洲:「生れついて手癖が惡く、板の間稼ぎや枕探し、どう諦めても諦められぬ腐った根性」、落語・真景累ヶ淵、政談月の鏡)
一押し、二金、三男(いちおし、にかね、さんおとこ):【意味】女をくどくときのコツを重要な順に並べたもの。まずなんといっても押しの強さ、次に財力、最後に男っぷりである(あえていえば顔はどうでもいい)。(講談・天保六花撰 :「一押し、二金、三男と申しますが、直次郎、この三つを兼ね備えて、これを巧みに使いわけたから、お雪のなびくのもあたりまえです」)
一河の流れ一樹の蔭、つまずく石も縁の端(一樹の蔭一河の流れ他生の縁)(袖摺り合うも他生の縁)(いちがのながれいちじゅのかげ、つまずくいしもえんのはし):【意味】同じ川の流れを汲み、同じ木蔭に雨宿りをし、石につまずくというようなちょっとしたことも、すべて前世からの因縁であり、それが深い縁を結ぶきっかけになるのだということ。(講談・伊賀の水月、木村長門守:「一樹の蔭一河の流れ他生の縁とこそ申傳へ參らせ候に、自ら君に思ひ思はれ參らせ候に」、鼠小僧次郎吉、岩見重太郎、越後伝吉、慶安太平記、落語・お目見え)(参照)→つまずく石も縁の端
一合一離水に月の影ふかく、波間の鳰の浮きつ沈みつ(いちごういちりみずにつきのかげふかく、なみまのにおのうきつしずみつ):【意味】豪傑同士の一対一のチャンバラの緊迫した模様を描写する際のきまり文句。「鳰」(にお)は「かいつぶり」のこと。この句は「太閤記」の賤ヶ岳の戦いに引用されるのだが、琵琶湖の異名が「鳰の海」。(講談・太閤記 :「兵助大いに怒り、馬の前脚薙ぎ倒して呉れんと、勢鋭く打つて懸れば、拜郷も槍取り直し、一合一離水に月の影ふかく、波間の鳰の浮きつ沈みつ、暫く挑み戰ふところへ」)
一合取っても武士は武士(いちごうとってもぶしはぶし):【意味】たとえ軽輩(浪人者)でも、侍は侍だからそれなりの意地も腕もあるということ。(講談・相馬大作、加賀騒動、落語・野ざらし:「狐狸妖怪の類でもたぶらかしに参ったなと思い、一合取っても武士のはしくれ、侍、齢はとってもまだまだ腕に齢はとらせんつもり」)
一事が万事(いちじがばんじ):【意味】ある一つの事を見れば、他の全ての事情も大方推察できるということ。(講談・忠僕直助、落語・厩火事:「あァありがたいご主人だ、この君ゆえには一命を投げうっても尽くさなきゃならないと思うだろう、これがお崎さんの前だが一事が万事てえんだよ」)
一日千秋の思い(いちじつせんしゅうのおもい):【意味】「一日三秋」ともいい、一日会わないとひどく長い間(「三秋」とは九ヶ月の意)会わないように思えること、つまりそれほど恋しく待ち遠しく思うこと。(講談・安政三組盃:「そこで一日千秋の思いをして、一両日を経て夜に入って笹屋を訪れる。絶えて久しき十七年ぶりに親子の対面」、寛永御前試合)
一上一下、虚々実々、宛ら二頭の唐獅子が牡丹に狂う風情、千変万化の早業は、水に映りし月影が、波にウネウネうねるに似たり(いちじょういちげ、きょきょじつじつ、さながらにとうのからじしがぼたんにくるうふぜい、せんぺんばんかのはやわざは、みずにうつりしつきかげが、なみにうねうねうねるににたり):【意味】剣豪同士の緊迫した対決の模様を形容するきまり文句。(講談・野狐三次:「一上一下、虚々実々、宛ら二頭の唐獅子が牡丹に狂う風情、千変万化の早業は、水に映りし月影が、波にウネウネうねるに似たり、二十七八合、丁々発止と打ち合ったが、いずれも名人上手の打合いなれば何時果つべしとも見えざりき」、山中鹿之助:冒頭のみ)
一膳飯は食うもんじゃない(いちぜんめしはくうもんじゃない):【意味】盛り切り一杯の飯は葬儀の時死者に供えるため、不吉だからこういう。(落語・湯屋番:「一膳飯は食うもんじゃァないてえから、おまんまを願います。これも前とおんなじだ。お茶漬けさァで終わり」)
一と言って二と下らぬ(いちといってにとさがらぬ):【意味】並ぶ者がない、最高であるということ。(講談・梁川庄八、左甚五郎:「わしも日本では一と言って二と下らない木曾の工匠だ」、祐天吉松、山中鹿之助、慶安太平記、落語・三人旅、景清、能狂言、隅田の馴染め)
一に看病二に薬(いちにかんびょうににくすり):【意味】病気の治療には、医薬よりもまずは手厚い看護が大事である、ということ。(講談・清水次郎長:「一に看病二に藥とか申しまして、次郎長の身體がめつきり快くなりました」、大久保彦左衛門、慶安太平記、越後伝吉:前句のみ、落語・小言幸兵衛、真景累ヶ淵)
一人出家すれば九族天に生まる(生ず)(いちにんしゅっけすればきゅうぞくてんにうまる):【意味】誰か一人が出家すれば、その功徳によって、長く一族(九族とは九代にわたる親族のこと)が極楽へ行ける、という教訓。(講談・梁川庄八、田宮坊太郎、落語・万金丹:「『坊主になるとどうにかなりますか?』『“一人出家すれば九族天に生まる”といってな』『へえ…胡瓜が天上しますか』」)
一年のことは元朝にあり(いちねんのことはがんちょうにあり):【意味】「一年の計は元旦にあり」。一年間の計画は元日の朝に決めるべきである、という意味。(講談・太閤記:「一年のことは元朝にありと申しまして、正月の元日というものはまことにお目出たい、心清らかにして迎えたい日でござります」)
一年の事は正月に有り、其月の事は一日に有り(いちねんのことはしょうがつにあり、そのつきのことはついたちにあり):【意味】→前項「一年の計(または「こと」)は元朝にあり」と同義。何につけても始まりが肝心だから、縁起かつぎなどをしなければならない。(落語・暦の隠居:「まぁまぁ、一年のことは正月に有り、其月の事は一日に有りと言ふから、マァ、何うか松の内丈は笑つて暮したいな」)
一年を二十日で暮らす良い男(いちねんをはつかでくらすよいおとこ):【意味】相撲はかつて一年間に、十日の場所が二回行われていた。よって、力士は二十日相撲を取るだけで一年暮らすことができるという良い身分であった、ということ。(講談・小田原仇討ち相撲~寛政力士伝、落語・花筏:「一年を二十日で暮らす良い男、と、こう言うた。春場所が十日間、夏場所が十日間で、エー、ちょうど一年二十日で暮らす」)
一富士二鷹三茄子(いちふじにたかさんなすび):【意味】おめでたい夢のモチーフとして知られるが、これは「富士の裾野」(曾我兄弟)「鷹の羽の打っ違い」(浅野家の家紋)「名を成す伊賀の仇討」(荒木又右衛門)、つまり日本三大仇討のシンボルである、ということに講談ではなっている。徳川家康が駿府にいたころ、初茄子の値が高かったことと、愛鷹山をかけた、駿河名物をいう文句だとする説もある。(講談・曾我物語情けの紋づくし:「昔からいい夢のたとえに、一富士二鷹三茄子と申します」)
(病が)一枚紙(薄紙)をはがすように(いちまいがみをはがすように):【意味】薄い紙を一枚一枚はがすように、病気が日一日と快方に向かう様子をいう。順調だけれども、一気に治らないもどかしさがこもる表現。(講談・国定忠治、落語・金玉医者:「病人の運がいいのか、医者が間のいいのか、一枚紙をはがすようにこれがよくなるッてんですから、家内の者は大喜び」)
一枚ものを脱いでも(いちまいものをぬいでも):【意味】どんなことをしても(金を)払う、(借金を)返済するということ。(落語・子別れ:「明日の朝、一枚ものを脱いでもなんとかするから」)
一枚をもってせんべいとはこれいかに、 ひとつをもって饅頭というがごとし(いちまいをもってせんべいとはこれいかに、ひとつをもってまんじゅうというがごとし):【意味】噺家がお客から題をもらって余興として作るだじゃれを用いた「問答」の一例。(落語・蒟蒻問答:「一まいをもってせんべいとはこれいかに、ひとつをもってまんじゅうというがごとし、なんてなことをいう。これはまァつまり駄洒落でございましてな」、万病円:前後句逆)
一目山随徳寺(いちもくさんずいとくじ):【意味】(参照)→随徳寺を決めこむを見よ。(落語・山号寺号:「『これで……』といいながら駆け出して、『一目山随徳寺』『ア……南無三仕損じ』」)
一以て万に通ず(いちもってばんにつうず):【意味】一芸に秀でることができれば、他のものは学ばなくてもできるようになるということ。あれもこれもやりたがる人に限って上達しない。「一芸は万芸に通ず」とも。(講談・猿飛佐助 :「その一つに図抜けさえすれば、余のものは学ばずとも出来る。一以て万に通ずとはこのこと」)(参照)→一を聞いて十を知る
一も取らず二も取らず(いちもとらずにもとらず):【意味】元も子もない、身も蓋もない、物事がぶちこわしになること。(講談・幡随院長兵衛:「もし斯うして居る處を上のお役人にでも知れたら何うする、もし召捕られでもしやうものなら、一も取らず二も取らずだ、何んだ、バタバタ慌てやァがって」)
一文銭か生爪か(いちもんせんかなまづめか):【意味】ある人がひどくケチなことを形容する文句。一文の銭をつかうのは、まるで生爪をはがすように「痛い」のである。(講談・安政三組盃:「このお兼婆ァてえのは、欲の皮の千枚張り、一文銭か生爪かという奴で、ないしょで高利貸しをしやァがって」)
一夜無情の風が吹いて、紅顔忽ち白骨となる(いちやむじょうのかぜがふいて、こうがんたちまちはっこつとなる):【意味】たとえ若くて元気な人でも、病気や災難などのためにいつ命を落とすか、その運命ははかることができないということ。(講談・安政三組盃:「幼少の時分には、いかにも達者そうであったが、一夜無情の風が吹いて、紅顔忽ち白骨となる、何か病気でこの世を去ったのではあるまいかとは思ったが」)(同義)→老少不定
一陽来復(いちようらいふく):【意味】陰の極に至って、陽に返ってくること。陰暦の11月、または冬至のことをいう。または、不運続きだったところへ、やっと運が開けてくること(「来福」とも書く)。(落語・道具屋、三百餅、真景累ヶ淵:「すると其年も明けまして、一陽來復、春を迎へましても、まことに屋敷は陰々といたして居りますが」)
一粒万倍(いちりゅうまんばい):【意味】一粒の種が一万倍になる、わずかな元手から多くの利を得られる。わずかなものでも粗末にしてはならない、ということ。(落語・乳房榎:「ああもってえねえ、一粒万倍だ、こぼれたものは再び元へは帰らねえって」)
一両の花火間もなき光かな(いちりょうのはなびまもなきひかりかな):【意味】流行が移ろいやすいことをいう宝井其角の句。(落語・素人相撲:「余まりパツと流行するものは、廃止るところへ行くと大層早いもので、其角の句に、一両の花火間もなき光かな」)
一を聞いて十を知る、(十を聞いて百を知る)(いちをきいてじゅうをしる):【意味】初めを聞いただけですぐに終わりまで推測することができるという賢さを形容するときに用いる。「一を以て万を知る」「百を知る」ともいう。(講談・近江聖人 :「祖父の仕込みで、一を聞いて十を知る利發、學問は素より、武藝もメキメキ進みました」、幡随院長兵衛、安政三組盃、祐天上人、左甚五郎、由井正雪、相馬大作、西郷南洲、薮原検校、落語・愛宕山)(参照)→一以て万に通ず《い》
一を知って二を知らぬ(いちをしってにをしらぬ):【意味】分かったようなことを言っているが、まだまだ考えが浅い、思慮が足りないということ。(講談・猿飛佐助、太閤記、夕立勘五郎:「御道理(ごもつとも)だが、お前さんといふ人は、一を知つて二を知らない、どうだな」、天一坊、難波戦記、百猫伝、落語・二丁蝋燭)
一閑張(いっかんばり):【意味】紙の張子に漆を塗ったもの。中身のないがらんどうの作り物。飛来一閑という人物が作り始めたという。(落語・五人廻し:「切って赤ェ血の出る一閑張りでねえようなのを連れてこい!」)
一季(当季)半季の奉公人(いっきはんきのほうこうにん):【意味】一年、あるいは半年単位契約の奉公人(下働き)。一期は三月節句から翌年三月節句まで、半期は3/3から9/1、または9/1から翌年3/3まで。従ってさして主人に対する忠誠心などを持ち合わせないのが普通である、という意味に使われる。(落語・星野屋:「当期半期の奉公人だ、彼等(あいつら)のいうことを取り上げてグズグズいっちゃアいけないよ」、化物使い)
一犬虚を吠え万犬実を伝う(いっけんきょをほえばんけんじつをつたう):【意味】一匹の犬が影(形)を見て吠えると、それを聞いたたくさんの犬が一斉に吠え始める、ということ。一人の言い出した嘘を聞き、多くの人がそれを本当だと信じ込んで伝えることをいう。(講談・寛永三馬術、名人小団次、清水次郎長:「誰が言ひ出したのか、一犬虚を吼えて萬犬實を傳ふといふのは此事。何時か之れが都鳥吉兵衛一家の耳に入りました」、宮本武蔵・箱根山中狼退治、国定忠治:後半のみ)
一視同仁(いっしどうじん):【意味】どんな人に対しても分け隔てなく接し、平等に親しみを抱いて接すること。(講談・猿飛佐助:「一視同仁、汝等七人は我がための大切なる郎党、何れに甲乙はないのである」)
一志萬事を成す(いっしばんじをなす):【意味】志をたてて、ひとつの道にひたむきに精進すれば必ず報われるという諺。(講談・幡随院長兵衛:「良い心掛けぢや。一志、萬事を成すといふ諺もある。その心がけがあれば、必ず上達いたす。拙者が指南してつかはすぞ」)
一紙半銭(いっしはんせん):【意味】紙一枚に銭五厘のこと。わずかな額の寄進。「ほんの気持ちばかり」のこと。(講談・祐天吉松:「所が吉松一紙半錢たりとも怪しいことがない。その中にハヤ五月も經ちましたが」)
一升桝は一升(いっしょうますはいっしょう):【意味】「一升徳利に二升は入らぬ」「一升袋は一升」(落語・福禄寿 :「一升袋は一升、二升詰めりゃア中のものは…みんな袋が破れて出てしまう道理でございまして」、おかめ団子)とも。人間の能力・器量にはそれぞれ限界がある、それを弁えなければならないという戒め。(講談・大岡政談村井長庵)
一寸先は闇(いっすんさきはやみ):【意味】未来のことは全く予知できないということ。(講談・鼠小僧次郎吉:「一寸先は暗だ、まだお前に詳しいことは話さなかったが、お前とは十年前から縁があったのだ」)《い》
一寸試し五分刻み(試し)(いっすんだめしごぶきざみ):【意味】ずたずたに試し斬りにすること。主に人質の口を脅して割らせようとするときや、人質の身柄をタテに主人公を脅迫するときの文句に出てくる。(講談・寛永三馬術、塚原ト伝、三家三勇士:「夜が明けて明日になれば、一寸試し五分試し、大勢で嬲り殺しにしてくれる」、祐天吉松、安中草三郎、幡随院長兵衛)
一寸延びれば、また尋も延びられる(一寸伸びれば尋)(いっすんのびればひろ):【意味】「寸伸れば尺伸る」(曾我物語・敷皮)とも。今一寸伸ばしておけば、後で六尺伸ばしたのと同じ結果になる。今さしあたりの困難を切り抜ければ、先はきっと楽になる、だから決して投げやりになってはいけないということ。捕り手に囲まれた泥棒が、ここさえ切り抜けて落ち延びれば、きっとなんとかなる、という時に使う言葉。(講談・梁川庄八、寛永三馬術、太閤記、鼠小僧次郎吉:「一寸延びれば尋のたとえ、どうかまぁ気の短えことをなさらねえで下せえ」)
一寸の虫にも五分の魂(いっすんのむしにもごぶのたましい):【意味】弱い者にも、それなりの意地や言い分、考えというものがあり、決して馬鹿にしてはならないということ。(講談・祐天上人、笹野名槍伝、相馬大作、落語・佃祭、金魚の芸者、熊の皮:「一寸の虫にも五分の魂、お前のように頭からガミガミ云われると、俺の方でも些たア文句を云いたくならア」、神仏論=神道の茶碗)
一殺多生の理(いっせつ:いっさつ:たしょうのり):【意味】一人の者を殺すことによって、多くの人の命を救うこと。悪党が退治されるときの正当な理由としてよく言われるが、悪党が人殺しする時の自己正当化のセリフにも出てくる。(講談・由井正雪:「生かして置いても益なき者共、一殺多生の理を以て命を取つた、現世は兎も角も未來は正路の者に生れて來い」、慶安太平記)
言って言えず言わせて言えず(いっていえずいわせていえず):【意味】芸道の極意・真髄というものは、人に言おうとして簡単に言えるような、また誰かから言えと迫られておいそれと言えるようなものでもない、ということ。(講談・肉附の面:「總て藝道は名人の位に至りますと、云つて云へず云はせて云へずと申す不思議な妙味がございまして」)
一天地六東五西二北四南三(いってんちろくとうごさいじほくしなんざん):【意味】サイコロの目が上下両面合わせて六であること。バクチの時、壺に二個の賽を入れて振るとき、この言葉を唱える。数字の組み合わせの順序が異なるバージョンあり。(落語・万金丹:「壺皿とか妻とか女房とか、一天地六東五西二北四南三の目を盛ったものを笊の中へ入れ、ガラガラポンポンと村の者を多ぜい集めて、和尚がテラを取って毎晩ばくちが始まるという」)
一天万乗の(大)君(いってんばんじょうのきみ):【意味】「乗」は車のこと。天子は一万輛の兵車を出すことのできる国土を持つ。天下を治める天子、帝のことをいう。(講談・西郷南洲、落語・はてなの茶碗 :「すると近衛殿よりこの趣きを一天万乗の君へ申し上げになりますと」)
一杯酒は飲まぬもの(いっぱいざけはのまぬもの):【意味】通常、酒を一杯きり飲むというのは礼儀に反する(一膳飯同様縁起が悪い)から、三杯は飲まねばならぬ、という意味の諺。酒を無理強いするときのセリフに出てくる。(落語・らくだ:「『イエ、もう、あきまへん』『一杯酒は飲まんもんや。もう一杯だけ……』」)(参照)→酒外れはせぬもの
一筆啓上火の用心(いっぴつけいじょうひのようじん):【意味】徳川家康の家臣・本多作左衛門重次(「鬼作左」といわれ武辺一点張りの男)が妻に与えた「もっとも簡にして要をえた手紙」の書き出し。「おせん泣かすな馬肥やせ」と続く。(講談・下郎の忠節:「本多と云ふのは、嘗て陣中から家郷の妻女にあて「一筆啓上火の用心、お仙泣かすな、馬肥やせ」と云ふ有名な名文を送つた程、要領を得た人物」)
一婦怨みを含む時は、天百日の雨を降らさず(いっぷうらみをふくむときは、てんひゃくにちのあめをふらさず):【意味】女の一念を甘く見てはいけない、というときに引用される言葉。無実の罪(姑殺し)で刑死した女の怨みで、三年の間雨が降らず、人々が困り果てたという「趙氏の妻」の故事にちなむ。(講談・夕立勘五郎 :「旦那、女だと思つて馬鹿にしちやア往けませんよ、一婦怨みを含む時は、天百日の雨を降らさずといひますよ」)
一腹一生(いっぷくいっしょう):【意味】同じ父母の腹から生まれた兄弟姉妹の関係。(講談・清水次郎長 :「一番上が吉兵衛、次が常吉、末が梅吉、一腹一生の兄弟、親の死んだ後を引受けましたが」)
一夫これを守れば、萬卒超ゆることを得ず(いっぷこれをまもれば、ばんそつこゆることをえず):【意味】守るのに容易で、攻めるのには困難な要害の地、難所をいう。「一夫関に当たるや万夫も開くなし」と同義。(講談・西郷南洲 :「左右は斷崖絶壁で、所謂一夫これを守れば、萬卒超ゆることを得ずといふ難所でございます」)
一歩は高く、一歩は低く(いっぽはたかく、いっぽはひくく):【意味】酔った人の歩き方を描く際の常套表現。(講談・赤垣源蔵:「一歩は高く一歩は低く、漸くに來た兄伊左衛門方の玄關」、伊賀の水月、赤垣源蔵のかたみ、落語・乳房榎他)
いつまでもあると思うな親と金、ないと思うな運と天罰(いつまでもあるとおもうなおやとかね、ないとおもうなうんとてんばつ):【意味】親や財産がいつまでもあってくれるものだと思うのはとんだ料簡違いである。また、逆に運がいつまでも向いてこない、悪行の報いがいつまでもないと思うのも誤りである。「ないと思うな瘡と天罰」というバージョンもある。(落語・ちきり伊勢屋 :「いや、そんなことはない、な、譬えにもあるだろう。“いつまでもあると思うな親と金、ないと思うな運と天罰”あなたには運が向いて来るぞオ」、唐茄子屋、御神酒徳利)
従兄弟従々兄弟は他人も同様(いとこはとこはたにんもどうよう):【意味】兄弟ならばともかく、いとこはとことなると、もはや血肉を分けた者というより他人に近い、ということ。(落語・六尺棒 :「阿父さんには姪だ甥だと云うのは近い身内かも知れませんが、従兄弟従々兄弟は他人も同様というじゃありませんか」)
稲妻や昨日は東今日は西(いなずまやきのうはひがしきょうはにし):【意味】宝井其角の俳句。世の中の移り変わりの激しいことを言いあらわすときに引用される。(講談・大高源五:「イヤ宗匠の御一句通り稲妻や昨日は東今日は西で、住所も定まりません」、亀甲縞治兵衛)
犬が西向きゃ尾は東(いぬがにしむきゃおはひがし):【意味】当たり前のこと。分かり切った事実。また、それをわざわざもったいぶってこのように言う。(講談・幡随院長兵衛:「そんなことは分り切つてゐる、犬が西向きゃ尾は東といふやうなもんだ」、落語・五人廻し)
犬去って梅花を描き、鶏去って紅葉を残す(いぬさってばいかをえがき、にわとりさってこうようをのこす):【意味】雪の降った日の地面に犬や鶏が歩いた足跡が絵模様のように見えて面白い、という様子。(落語・雪てん :「雪の中を犬が歩く。その足あとが梅の花のようだというような意味さ。犬去って梅花を描き、鶏去って紅葉を残す、というようなわけで」)
犬になっても大店(なるとも大所)の犬、立ち寄らば大樹の陰(大木の下)(いぬになってもおおどこのいぬ、たちよらばおおきのかげ):【意味】犬でも豊かな家に飼われる方が得。同じ頼るならしっかりした主人や相手を選んだ方がいい。前句は「良い処の犬になれ」とも。(講談・寺坂吉右衛門、由井正雪、慶安太平記、赤穂四十七士伝、天保六花撰、落語・鼻きき源兵衛:「天びんがあるから一生八百屋をしてつまらなく世を渡っているのだ。なんでも人間は心ほどの世を経る、立ち寄らば大樹のかげ、犬になるにも大家(おおどこ)の犬になれといわア」、子宝=女の子別れ)
犬の糞で仇(いぬのくそであだ・かたき):【意味】「犬の糞」は「伊勢屋、稲荷に犬の糞」にもいうように汚いもの、ありふれたものの代名詞。卑劣な手段をもって復讐すること。(落語・らくだ、大工調べ:「まァ、長えもんにゃア巻かれろ、あとで犬の糞でかたきでもつまらねえから、え? 下手に出て、よくわけェ話してもらってこい」、胴取り)
犬は三日飼われれば三年恩を忘れない(いぬはみっかかわれればさんねんおんをわすれない):【意味】犬は利口な動物で、飼い主に対してとても義理堅いことをいうことわざ。「三日飼うと三年の恩を知る」とも。(講談・里見八犬伝、落語・元犬:「犬という動物はご承知のように、たいへん利口でございます。…“三日飼われれば三年恩を忘れない”ということを言ってございます」、猫定)(参照)→飼ふ人の恩を肴に思ふまでよくかみ分けて門守る犬、三日飼われて恩を忘れないのが犬
犬骨折って鷹の餌食(いぬほねおってたかのえじき):【意味】鷹狩りで、せっかく犬が苦心して追い出した獲物を鷹がさらっていくこと。自分の手柄を他人に横取りされる例え。(講談・鼠小僧次郎吉:「しめた、犬骨折って鷹の餌食、人間というものはどんなところにこういう間拍子のいいことがあるか知れねえもんだ」)(参照)→無駄骨折って鷹の餌食
犬も歩けば棒に当たる(いぬもあるけばぼうにあたる):【意味】出歩けば、思わぬ幸運や災難にでくわすものだ(江戸では「幸運に遭遇する」意味に使う)。不審者を捕らえる時に投げた六尺棒が目標をそれて犬に当たってしまうことから出た言葉であるという。(講談・大塩瓢箪屋裁き、朝顔日記、寛永御前試合、落語・出来心、鰻の幇間、今戸の狐 :「ェえ? なるほどね。“犬も歩けば棒に当たる”えェと、薪屋の横ッてッたなァ」、遠山政談、庖丁)《い》
犬も朋輩、鷹も朋輩(いぬもほうばい、たかもほうばい):【意味】身分や務めは違っても、同じ主人に仕えるからには、同僚であることに違いはない、ということ。(講談・荒木又右衛門、笹野名槍伝:「マア宜いや、犬も朋輩、鷹も朋輩、一つ鍋のものを食べ合つてゐた仲だ」、太閤記、三家三勇士、落語・元犬、万金丹、春雨、米搗の幽霊、下女の恋)
命あっての物種(、畑あっての芋種)(いのちあってのものだね):【意味】なにごとも命あっての上のことである、命がすべての元。死んでしまったら元も子もない。(講談・梁川庄八、寛永三馬術、太閤記、鼠小僧次郎吉、赤穂四十七士伝、大高源五、明智三羽烏、落語・永代橋 :「然うですとも、命あつての物種だ、斯んな嬉しい事はありません」、うそつき弥次郎、土橋萬歳、塩原太助一代記)(参照)→死んで花実が咲くものではない
井の中の蛙大海の広きを知らず(いのなかのかわずたいかいのひろきをしらず):【意味】自分だけの狭い見聞を唯一最高のものと思いこみ、他に広大な世界があるのを知らないこと。視野が狭い人を戒めていう。(講談・荒木又右衛門、由井正雪、岩見重太郎、慶安太平記、玉菊燈籠:「彼は江戸へ參つたことがないから夫故いはゞ井の中の蛙同様城普請の法には叶はざる繪圖を引きまする」、西郷南洲、落語・茶わん屋敷)(類義)→鳥なき郷の蝙蝠《い》
医は意なり(いはいなり):【意味】医学は、単純なマニュアルによって習得されるものではない。人間関係や人の心の動きへの理解・洞察力があって始めて名医たりうる、したがって言葉でその神髄を伝承することは難しい、というような意味の言葉。(講談・寺井玄渓:「アッハッハハお前はまだ若い。医は意なりというはこゝのことじや、何もくよくよ考えるには及ばんではないか」)
医は医のために倒れる(いはいのためにたおれる):【意味】医師は人の病を治すのに心を砕くあまり、皮肉にも病気に精通しているはずの自らが病に倒れる場合もあるということ。(講談・荒木又右衛門:「いや醫は醫のために倒れる。人の病を治す大役ではあるけれども病氣には勝たれぬ」)
医は仁術(長袖)(いはじんじゅつ):【意味】医者の仕事は人命を救い、仁(博愛)を行う道である。人助けが医者の仕事である。「長袖」は武士に対して医師、僧侶、学者などをいう。侍が鎧を着るとき袖をまくったのに対し、年中長袖でいる立場、という意味。(講談・清水次郎長、名医と名優、野狐三次、大岡政談村井長庵、落語・夏の医者:「昔は、『医は仁術なり』ということを申します」 )
疣相持ち(いぼあいもち):【意味】持ちつ持たれつ、相互扶助。「鷸(しぎ=鳥のこと)蚌(どぶ貝のこと)相持」(いっぽうあいもち)の訛った言葉。「えぼあいもち」「うぶあいもち」とも。(講談・明智三羽烏 :「持ちつ持たれつ、お互ひ様、疣相持ち」)
今さら思えど六日の菖蒲(いまさらおもえどむいかのあやめ):【意味】五月五日の節句の翌日の菖蒲のこと。時機に遅れたため何の役にも立たないもののことをいう。(講談・忠僕直助:「今さら思えど六日の菖蒲、如何とも仕様がございませんから、先立つものは涙とやら、ボロボロ男泣きに泣いて居る様子を見た助廣は至つて義侠心(をとこぎ)のい人でございますから」)(参照)→六日の菖蒲、十日の菊
今鳴るは芝か上野か浅草か(いまなるはしばかうえのかあさくさか):【意味】芝増上寺、上野寛永寺、浅草寺が江戸を代表する三つの寺であり、その鐘の音がいわば名物であったことをいう川柳。(講談・慶安太平記:「今鳴るは芝か上野か浅草か、昔は芝三縁山増上寺、上野東叡山寛永寺、浅草金龍山浅草寺弁天山の鐘、この三つを江戸の三大名鐘と申しました」 )
忌めば忌む忌まねば忌まぬ、忌むという字は己の心なりけり(いめばいむいまねばいまぬ、いむというじはおのれのこころなりけり):【意味】物事の善悪吉凶はほとんど人の気の持ちようであるから、げんかつぎなどはあまり意味がない、ということ。忌むという字は「己の心」と書くくらいであるから、といういかにも心学風な教訓。(落語・しの字丁稚:「故郷にいたとき、物識りの隠居はんから聞いたことがおます。忌めば忌む忌まねば忌まぬ忌むという字は己の心なりけり……。文字というもんは理詰めのもんで、善も悪も、おのれの心でどうとでもなります」 )
いやだいやだよ馬方いやだ手綱とる身で日を暮らす(いやだいやだようまかたいやだたづなとるみでひをくらす):【意味】馬子唄の文句。馬の手綱を取って年中暮らす馬方が、こんな商売はもうこりごりだとぼやく。(講談・三家三勇士:「いやだいやだよ馬方いやだ手綱とる身で日を暮らす、シャンシャンシャーンと、駅路(うまやじ)の鈴の音、馬子唄を声自慢に唄いながら通って行く」 )
いや待てしばし金火箸(いやまてしばしかなひばし):【意味】「しばし」にかけた洒落言葉。(落語・かはりめ:「これまでの所ア悪かツた、勘弁して呉んねえ、斯う言つて謝らうかと思ツたが、イヤ待て霎時(しばし)金火箸と考へた」 )
煎豆に花(咲いた花)(いりまめにはな):【意味】ほとんどありえないこと。また、それが実際に起こること。九死に一生を得ること。(講談・梁川庄八、矢田五郎右衛門:「御命の助かりしは煎豆に咲いた花とやら、此の上は仲右衛門方へ參りまして」、笹野名槍伝、両越大評定、岩見重太郎)《い》
色ある花は匂い失せず(いろあるはなはにおいうせず):【意味】元々美しく、色気を売物にしていた女は、さすがに年をとってもその色香を失わないものだという例え。(落語・札所の霊験:「少うししがれてはいるが、色ある花は匂い失せずとやらのたとえ、以前勤めをした女だけになにごとにつけ、取りなしが素人とは違いまして灰汁抜けがしています」 )
色男金と力はなかりけり(いろおとこかねとちからはなかりけり):【意味】女にもてるような美男というのは、とかく金や腕力がないものである、という諺。(講談・塚原ト伝、落語・六尺棒:「俺は其倅だけれども力なんかサツパリ無いんだ、色男金と力はなかりけり、何処まで俺は色男に出来上つて居るんだろう」)
色気より食気(いろけよりくいけ):【意味】→「花より団子」にほぼ同じ。(落語・明烏:「私はもう斯うなると色気よりは食気で、今此所の茶箪笥を見ると榮太楼の甘納豆があるから」)
色恋は晴れて会ってはおもしろくない。忙しい中で首尾をして会う、ここが値打ちだ(いろこいははれてあってはねうちがない。いそがしいなかでしゅびをしてあう、ここがねうちだ):【意味】これは故事成語や諺ではないが、「関東七人男」の中に出てくる含蓄のあるセリフ。会おうと思えばいつでも会える間柄では妙味がない。お互い忙しい中で、都合をつけ、ともすれば人に隠れて会うからこそ、色恋は面白いのである。(講談・関東七人男:「すべて色恋は晴れて会ってはおもしろくない、忙しい中で首尾をして会う、ここがネウチだ……ねえ親分、そうじゃアありませんか」 )
色好まざる男の子は玉の盃底なきが如し(いろこのまざるおのこはたまのさかずきそこなきがごとし):【意味】恋愛や情事に興味のない男は、いくら見かけがよくても物足りない。「徒然草」より。「色好まざらん男はいとさうざうしく玉の巵底なき心地ぞすべき」(講談・おこよ源三郎:「色好ざらん男の子は玉の盃盞に底無きが如しと云ど、情慾を好めとには非ず、色とは眞實の心を言なり」)(参照)→若き男の色好まざるは、玉の盃底なきに似たり
色にはなまじ連れは邪魔(いろにはなまじつれはじゃま):【意味】色恋沙汰や遊里などでは、連れがいると肝心な時に邪魔になることが多い。(落語・居酒屋 :「色にはなまじ連は邪魔ということがあらあ、一と人の方が気が揃って、よほどいい心持だ」、野ざらし、白銅=五銭の遊び、牡丹燈籠)
色の白いは七難隠す(いろのしろいはしちなんかくす):【意味】色白の人(女性)は、他に少々醜い点があっても目立たない、ということ。(落語・文違い:「だれしも多少はこの自惚れというものがありまして、色の白いのは七難かくすなんてえまして、おれは色が白いからなんてんでたいそうこの喜んでいる」)
色は内輪にしていちゃあできるものではない、十人くどいて一人くどき落としゃあ一割、はじかれてもともと(いろはうちわにしていちゃあできるものではない、じゅうにんくどいてひとりくどきおとしゃあいちわり、はじかれてもともと):【意味】控えめな態度を取っていては女といい仲になることなどできはしない。だめでもともと、成功率一割とすれば、十人くどいて一人攻略できる。つれなくされてもともとなのだからいちいちめげている場合ではない。積極的にどんどんやってみることだ、という心得。こういうことを偉そうに言う人はいつの世にもいる。(落語・羽衣、さら屋 :「十人口説て一人諾(うん)といへば、一割に当るといつて、丹念に口説て歩く人がいる」)
色は思案の外(いろはしあんのほか):【意味】「恋は思案の外」ともいう。恋愛は常識では割り切れない。一旦恋に落ちると誰でも理性を失うものである。(講談・難波戦記、落語・たちきり:「百日の蔵住居せんならん若旦那、なにがためだと申しますと、色は思案のほかなんで」)
色は年増に止めさす(いろはとしまにとどめさす):【意味】女の色香は、新造(娘)よりも年増(二十歳以上四十歳未満ほど)に限る、ということ。(落語・縮み上り:「マア下らねえ事を云わねえで彼方へ行く女を見ねえ。色は年増に止めさすと云うが真正だな」、湯屋番)
色町が明るくなれば家は闇(いろまちがあかるくなればうちはやみ):【意味】川柳。夜になって亭主が明るい遊里へ行ってしまうと、妻のいる自宅は逆に暗闇のように荒れすさんでしまうということ。(落語・親子茶屋 :「お若いうちは、どうしましても、お色気の方へ向くようで……色町が明るくなればうちは闇……うまいことが言うてございます」)(参照)→吉原が明るくなれば家は闇
鰯の頭も信心から(いわしのあたまもしんじんから):【意味】つまらないものでも、それを強く信仰する心があれば、神仏同様のあらたかな霊験があるということ。節分に鰯の頭を串に刺し、柊の枝とともに門口にさす「追儺」に由来するという。(講談・鼠小僧次郎吉、慶安太平記、落語・ちきり伊勢屋、乳房榎:「いや流行神(はやりがみ)などというものは利く利かないにかかわらず、自ずと人気がそこへ寄るものだから、鰯の頭も信心柄とやらで、こっちの心さえ通じればそれはきっと利益のあるもの」)《い》
鰯を煮た鍋(いわしをにたなべ):【意味】洗っても落ちないにおいがついている。よって、「腐れ縁」のことをこういう。(講談・梁川庄八:「『庄八正國といふ大先生は、俺と縁がねえんぢやアねえ、生臭い仲なんだぜ』『ヘエ』『大した事もねえけれど、俺の叔父さんの其叔母さんの其實家の從弟の兄の妹の……まア鰯を煮た仲とでも云はうか』」、伊賀の水月)
言わぬが花(いわぬがはな):【意味】物事をはっきり言うよりも、あえて言わないで置いた方が味わいがあったり、ためになったりすること。(講談・三村次郎左衛門、落語・ちきり伊勢屋 :「『冗談じゃない。こんな汚ない身装をしているけれども、もと麹町五丁目で……』ちきり伊勢屋……といいかけたが、ま、言わぬが花」)
言わぬは言うに増す(いや勝る)(いわぬはいうにます):【意味】黙っていた方が、言うよりもずっと効果的である。(講談・南部坂雪の別れ、片岡源五右衛門:「こういう場合になっては中々口なぞきけません。言わぬは言うにまさるとやら、この時主従の心の底はどんなものでありましたろう」、春風臆病問答、朝顔日記、赤穂四十七士伝)
因果応報(、天の道)(いんがおうほう):【意味】過去の善悪の業によって、現在の幸不幸の状態が導かれ、現在の業に応じて未来の幸不幸の状態が決定される。(講談・水戸黄門 :「人を殺せば自分も討たれる、因果應報、天の道で仕方がない」)
因果は巡る車の輪、大海の潮も満干のある如し(いんがはめぐるくるまのわ、たいかいのうしおもみちひのあるごとし):【意味】因果が法則的に循環することを車輪や潮の満干に例えている。(講談・おこよ源三郎 :「因果は運る車の輪、大海の潮も満干のある如しと」、越後伝吉:前句のみ、落語・文違い)(参照)→世の中は巡る小車の如し
陰徳あれば陽報あり(いんどくあればようほうあり):【意味】「淮南子」より。隠れた善行を積んだ人には、必ずはっきりとした良い報いがあるものだ、ということ。(講談・後藤半四郎、大岡政談安間小金次、薮原検校、落語・佃祭:「え?『陰徳あれば陽報あり』助けてやったのを忘れてしまったというのだ。その女の家でお酒をご馳走になって助かったのだとさ」)
編:松井高志・2004-
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