[こ]で始まる語句・ことわざ
孤鞍雨を衝いて茅茨をたたく 少女はために貽る花一枝(こあんあめをついてぼうしをたたく しょうじょはためにおくるはないっし):【意味】太田道灌が狩りの際、にわかの村雨に遭遇して茅屋に簑を借りに立ち寄ったところ、現れた少女が山吹の枝を贈った(「七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞかなしき」という古歌にかけた)という有名な逸話を、大槻清祟という人物が詩にしたもの。吟詠されることが多い。(落語・道灌:「『何か字が書いてありまンねェ』『孤鞍雨を衝いて茅茨をたたく、少女はために貽る花一枝、少女はいわず花語らず、英雄の心緒紊れて糸のごとし』」)
鯉口を着る(こいぐちをきる):【意味】「鯉口」は水仕事をするときなどに着る布子のこと。ここでは鰯売りの恰好。(落語・豆屋:「若い者が、向う鉢巻で鯉口を着て、暑いも寒いも夢中で『オーウ鰯こい……』」)
恋せずば人は心も無からまし物の哀れも是よりぞ知る(こいせずばひとはこころもなからましもののあわれもこれよりぞしる):【意味】恋を知らなければ、人は本当の心情、この世の情趣というものを弁えることがない、恋愛をしてこそ人間は一人前だという意味の歌。(落語・孝女お里:「馬鹿アいへ。恋せずば人は心も無からまし物の哀れも是よりぞ知る。斯ういふ身分になつたのも、元はといへば婦人ゆゑ」)
恋に上下の隔てはない(こいにじょうげのへだてはない):【意味】恋愛には本来、身分、年齢による障害はないのである(どのような間柄でも成立しうる)、という諺。(講談・西郷南洲:「戀に上下の隔てはないと申しますが、流石の齋興卿もボーツとして」)
恋は女子の癪の種、肥料は田舎の作の種(こいはおなごのしゃくのたね、こえはいなかのさくのたね):【意味】「こい」は若い女性の「癪」の原因だが、「こえ」は畑の肥料である、というシャレ。(講談・笹野名槍伝:「さうりや癪や癪や、えらいことになるもんや、戀は女子の癪の種、肥料は田舎の作の種」)
恋は曲者(こいはくせもの):【意味】恋は人の心を迷わせるものである、という諺。恋は盲目(正常な判断力を奪う)、ということ。(講談・猿飛佐助:「恋は曲者とはよく言ったもの、色々思案を廻らしている」)
恋は盲目(こいはもうもく):【意味】恋に落ちると人間は正常な判断力を失う。前項参照。(講談・旗本五人男、山中鹿之助:「恋は人を盲目にするとか申しまして大九郎はますます逆上せあがりまして」)
恋は勇者なり(こいはゆうしゃなり):【意味】恋人を思う一念で、若い男は危ないことでもなんでも思い切ってできるものだ、ということ。歳をとってしまうとなかなかそうはいかないものである。(講談・笹川繁蔵:「いゝえねえ、親分、若い者は頼もしい、恋は勇者なりとはよくいったと思いましてねえ」)
恋変じて無常となり、無常変じて恋となる(こいへんじてむじょうとなり、むじょうへんじてこいとなる):【意味】恋する者同士が思い詰めれば死(心中)に至ることもあり、逆に生死にかかわるような極限状況から恋が生まれることもある、という諺。ただし前者のケースが多いものである。(落語・品川心中:「恋変じて無常となり、無常変じて恋となるなぞと云いますが何うも無常変じて恋となるのは少ない、恋が一つ変じると必ず無常と云う奴になります」、八百屋お七、刀屋)
光陰矢のごとく、月日に関守なし(こういんやのごとく、つきひにせきもりなし):【意味】何年もの時間(月日)が矢のように早く過ぎ去ってしまうこと、時の経つのは早いものである、ということ。時間の経過をとどめる番人はいない。(講談・寺坂吉右衛門:「とにかく光陰に関守なく、自分が年をとるのはわからないが、子供が成長するのがもどかしくて、手足をもって引き延ばしてもやりたいと思い」、小山田庄左衛門、猿飛佐助、村正、天保六花撰、幡随院長兵衛、徂徠豆腐、赤穂四十七士伝、富蔵藤十郎、落語・たちきり、蒟蒻問答、天神山、紺屋高尾、景清、乳房榎、吉野狐)
後悔先に立たず(こうかいさきにたたず):【意味】何かが終わってしまった後で悔いても取り返しがつかない。(講談・太閤記:「凡て物事は其時に依るべきで、後悔先に立たずとは、此事でございます」、明智三羽烏)
後悔を先に立たして後から見れば杖を突いたり転んだり(こうかいをさきにたたせてあとからみればつえをついたりころんだり):【意味】若気の過ちなどをしでかして、後になって悔いて恥じてみても遅く、過去の自分のしでかした失策のため実にみっともない仕儀に至る、ということをいう。(落語・唐茄子屋:「“後悔を先に立たして、あとから見れば、杖をついたり転んだり”“身から出た錆”の若旦那は、もうどうにもしようがありません」)
剛毅木訥仁に近し(ごうきぼくとつじんにちかし):【意味】「論語」より。強情で飾り気のない人間(男)というのは、自分を抑え、人を思いやる美しい道徳観の持ち主に近い存在である、ということ。(落語・佃祭、元犬:「なに?…田舎者か…結構結構…“剛毅木訥は仁に近し”…田舎の方は正直でよろしい」、髪結新三、かつぎ屋)
豪傑もとより大酒を好む(ごうけつもとよりたいしゅをこのむ):【意味】(参照)→勇士は酒を好むに同じ。(講談・山中鹿之助:「プーンと酒の匂ひがいたしまする、豪傑素より大酒を好む、鹿之助も性來酒好きでございますから」)
巧言令色佞弁邪智(こうげんれいしょくねいべんじゃち):【意味】うまいことをいったりご機嫌をうかがって主君などのお気に入りになり、いずれ自分が政治の実権を握ろうという野心を腹に持っているけしからん家臣のことをいう。(講談・梁川庄八:「巧言令色佞辯邪智に任せて遮ぎつたにより、家再興の儀は空しく御沙汰止みとなつたと申す事」)
孝行と不孝と並ぶ新枕(こうこうとふこうとならぶにいまくら):【意味】親孝行のため、苦界に身を沈める娘、それを買いにくるのは道楽者の倅である、という皮肉な有様をいう川柳。(落語・文七元結:「孝行と不孝と並ぶ新枕、などといふことがありますが、実に能く穿ちましたもので」)(参照)→孝行に身を売られ、不孝に受け出され
孝行に身を売られ、不孝に受け出され(こうこうにみをうられ、ふこうにうけだされ):【意味】親の苦しい経済状況を救うために身売りして遊女になった者が、道楽息子によって身請けされるという皮肉な実態をいうもの。「孝行で流れ~」というバージョンも。(講談・越後伝吉:「川柳にもある通り、孝行に身を賣られ、不孝に受け出されとある通りでせう」、落語・文七元結)
孝行の心を神の水にせで酒とくまする養老の滝(こうこうのこころをかみのみずにせでさけとくまするようろうのたき):【意味】昔、美濃の親孝行な樵夫・小佐次という男の「親に酒を飲ませたい」という一念で、滝の水が酒に変じ、これを時の帝がめでて「養老の滝」と命名されたという伝説に因む歌。(落語・二十四孝:「時の帝之を聞し召され、孝子の徳を賞し給いて、養老の滝と御称けになつた『孝行の心を神の水にせで酒とくまする養老の滝』という歌がある」)
孝行は富士の高嶺によく似たり人にほめられ人に仰がる(こうこうはふじのたかねによくにたりひとにほめられひとにあおがる):【意味】親孝行は他人に褒められ、尊敬されるのであるから、ちょうど日本一の富士山に似ている、というストレートな道歌。(講談・水戸黄門:「親には孝行をしなければならぬぞ。孝は百行の基、孝行は富士の高嶺によく似たり人にほめられ人に仰がる」)
孝行をしたい時分に親はなし、さればとて石に布団も着せられず(こうこうをしたいじぶんにおやはなし、さればとていしにふとんもきせられず):【意味】親孝行をしたいものだ、と心底思うときには、大抵もう親は亡くなっていないものである。だからといって墓に布団を着せてやるというわけにもいかない、というぼやき。映画「東京物語」のセリフにも出てくるので知られる。(講談・水戸黄門、天保六花撰、越後伝吉:「何をいふにも幼少の時阿父さんに別れて、孝行をしたい時分に親はなしの譬の通り、何うも仕様がない」、薮原検校、落語・唐茄子屋、二十四孝、景清、おかめ団子)(同義)→木静かならんと欲すれども風やまず、子養わんと欲すれども親待たず
恒産なきもの恒心なし(こうさんなきものこうしんなし):【意味】「孟子」より。定収のない人はきちんと道徳心を維持することができない。経済的に安定して、初めて道徳というものが根づくのである。(講談・南部坂雪の別れ:「恒産なきもの恒心なしと孟子も申している。いや浪人いたしては、あたかも木から落ちたる猿の如く、さても哀れなものでござる」)(参照)→衣食足りて礼節を知る、豊かならざれば礼整わず
孝子は貧家の門より出でる(こうしはひんかのもんよりいでる):【意味】孝行者は、決まって富裕な家よりも貧乏な家に育つものである、ということ。(講談・梁川庄八:「アゝ孝子は貧家の門より出でるといふが、之が孝太郎の家か」)
甲州へ行くは葡萄のなりさがり(こうしゅうへいくはぶどうのなりさがり):【意味】旗本が、何か不始末をして甲府勤番になる(閑職に追いやられる)ことを皮肉った川柳。「葡萄」と「葡萄」(甲州名物)をかけている。(講談・本所五人男:「川柳に『甲州へ行くは葡萄(武道)のなりさがり』と申す位ゐで笠井仁太夫は立歸つて參り帯刀殿に其次第を申すと帯刀殿も大きに驚ろき」)
孔子も時に合わざれば労して功なし(こうしもときにあわざればろうしてこうなし):【意味】「荘子」より。孔子に対する批評。事情(時代)の異なる状況で、先例を適用するのは「舟を陸で動かそうとするようなもの」でムダが多く、労して功なし=骨折り損のくたびれ儲けである、ということ。または、どんなに立派な人物でも、機会に恵まれなければ埋もれたままになるということ。(落語・無学者:「孔子も時に遇はざれば、と云ふ事が有るからね……」=木火土金水)
講釈師扇で嘘を叩き出し(こうしゃくしおうぎでうそをたたきだし):【意味】江戸時代の著名な講釈師・東流斎馬琴が残した狂句であるという。張り扇で台を叩きながら事実の上に誇大な脚色を施して面白く講ずる様子。このほか「講釈師つかえた時に三つ打つ」というのも馬琴の句だという。(講談・田宮坊太郎:「『講釋師扇で嘘を叩き出し』などと、大分講釋師は攻撃されますけれども」)
講釈師見てきたような嘘をつき(こうしゃくしみてきたようなうそをつき):【意味】これも馬琴の句であるという。昔の戦いの模様などを、現場にいるわけもないのに、講釈師があたかもその場に居合わせて実況しているかのように講ずるところを描いたもの。(講談・田宮坊太郎、落語・お七:「講釈師見てきたような嘘をつき と川柳の悪口にもいってありますが」、仙台高尾)
講釈場、いらぬ親父の捨てどころ(こうしゃくば、いらぬおやじのすてどころ):【意味】「生きた親父の捨てどころ」ともいう。講釈場は家で邪魔者にされる老人のたまり場と化している。それほど講釈場の客は爺さんばかりだということ。(落語・くしゃみ講釈:「講釈場、いらぬ親父の捨てどころてな川柳がございまして、家におったら若い夫婦の、じゃまになるてなお爺(じん)がな、『お父つぁん、講釈聞きに行といなはれ』ちゅうて嫁はんに小遣もろてやってくる」)
甲州の人は武田信玄を称め、越後の人は上杉謙信を称め、信州から出る人は真田幸村と田毎の月と更科の蕎麦を称める(こうしゅうのひとはたけだしんげんをほめ、えちごのひとはうえすぎけんしんをほめ、しんしゅうからでるひとはさなだゆきむらとたごとのつきとさらしなのそばをほめる):【意味】ことわざではない。お国自慢、人が出身地の英雄や名物のひいきをしたくなる人情を述べたくだり。(講談・幡随院長兵衛:「藤吉さん、少し待つておくれ、甲州の人は武田信玄を稱め、越後の人は上杉謙信を稱め、信州から出る人は眞田幸村と田毎の月と更科の蕎麥を稱める。誰れでも我が土地を惡いといふ奴はいない」)
甲州へ行くは葡萄のなりさがり(こうしゅうへゆくはぶどうのなりさがり):【意味】旗本にとって甲府勤番を命ぜられるということは、左遷・落ちぶれることを意味する、という川柳。「葡萄」は「武道」の洒落。(講談・本所五人男:「川柳に『甲州へ行くは葡萄のなりさがり』と申す位ゐで笠井仁太夫は立歸つて參り帯刀殿に其次第を申すと帯刀殿も大きに驚ろき」)
好事魔多し(こうじまおおし):【意味】調子に乗っているとき、物事がうまくいきそうな時にかぎって、とかく邪魔が入りやすいものである。(講談・寛永三馬術、左甚五郎:「ところが世にいう好事魔多しで、その年の三月ごろ、正利ふとした風邪の心地から、床につきましたが」、朝顔日記)
荒神様へ薪をのせる(こうじんさまへまきをのせる):【意味】「荒神様」はかまどの神様。かまどの上に棚を設けて祀る。そこへ薪を乗せるのは「お天気になれ」というおまじない。てるてる坊主を下げるのと同じである。(講談・寛永三馬術:「『それでは荒神様へ薪を乗せろ』『あれも矢張天氣の禁厭(まぢなひ)だ』」)
後世恐るべし(こうせいおそるべし):【意味】「論語」より。正しくは「後生畏るべし」。後進の者というのは、努力精進次第でどんな大物に化けるか予想できないので、馬鹿にしてはいけない、ということ。(講談・関東七人男、橋弁慶、寛永御前試合:「舌を巻いて先生も感心いたし、後世恐るべき、名人とならん、と喜んでいられる」、落語・明烏)
浩然の気を養う(こうぜんのきをやしなう):【意味】多忙な中で心の余裕を生み出す(ために遊ぶ)こと。自分の遊蕩を正当化するときのセリフなどに出てくる。(落語・坊主の遊び:「お前吉原へチョイチョイ繰込んで浩然の気を養うというような事でな」)
功成り名遂げて身退く(こそ天命を知る者)(こうなりなとげてみしりぞく):【意味】手柄を立て、名声を得たら、それに溺れることなくすぐに身を慎んで謙虚に「ただの人」へ立ち帰るのが、自分の宿命をわきまえた者のとる正しい態度であるということ。(講談・紀伊国屋文左衛門:「功成り名遂げて身を退く、誠に不實の様だ、大火中を幾十萬人の難澁につけ込んで儲けた身代、天理としても、永持をする譯がない」、相馬大作、西郷南洲、加賀騒動)
後難は山にあらず川にあらず、人間反復の中にあり(こうなんはやまにあらずかわにあらず、にんげんはんぷくのうちにあり):【意味】人間にとって先々の厄介ごとというのは、山や川というような目に見える障害ではなく、要するに多くの人との出会いと関係の中にこそあるものであるから、いつ災難に見舞われるか、あらかじめ予測するのは難しいということ。(講談・後藤半四郎:「若き者は有うちの事何も是を生涯の恥となす程の事でもなし古き俚諺(ことわざ)に後難は山にあらず川にあらず人間反復の中に在と云いつ何時如何なる難儀憂目に出會も計られず」)
郷に入っては郷に従え(ごうにいってはごうにしたがえ):【意味】その土地に来たら、その土地の風俗習慣に従うべきだという教え。「所に入っては所に従え」という後句がつく場合あり。(講談・寛永三馬術、笹野名槍伝、祐天吉松:「郷に入つては郷に從へといふ事がある。手前が不意に來てそんな生意氣をいふのが惡い」、小幡小平次、落語・三十石夢の通い路、茗荷屋)
勾配が早い(こうばいがはやい):【意味】文字通り読めば「傾斜が急なこと」だが、そこから転じて、動作が俊敏なこと、仕事が早いこと、機転が利くこと、如才ないことをいう。(講談・梁川庄八:「勘四郎勾配の早い奴で、庄八の紙入は、別の處へ仕舞つたらしい」)
孝は百行の基(こうはひゃっこうのもと)忠臣は孝子の門より出ずる:【意味】孝行というのはさまざまな善行の基本中の基本である、ということ。後半(親に孝行な者は主君にも忠節なはずなので、忠臣は孝子の家から求めるべきだということ)とセットで使う。(講談・水戸黄門、梁川庄八、近江聖人:「お前が讀んで居る孝經といふ書物にも、孝は百行の基と書いてある」、正直車夫、越後伝吉、落語・二十四孝)
幸福の富は天にあり(こうふくのとみはてんにあり):【意味】人間の幸運を左右するのは人知よりも天運であるから、いくら工夫しても天の恵みがなければ幸福にはなれない。だが、常に心がけをよくしていないと運が向いてこないのは事実である、いつ運が向いてくるかは予期できない、の意。(落語・田能久:「ェェ、幸福の富は天にあり。いつ何時人間は幸いを得るかわかりませんもので」)
弘法にも筆の誤り(こうぼうにもふでのあやまり):【意味】弘法大師ほどの書の名手でも、書き誤ることがある。その道の達人と言われる人でも、たまには失敗をおかすのであるという諺。(講談・鼠小僧次郎吉、落語・片袖:「馴れた人かて、やりぞこないがなんぼでもあるねン。上手の手から水が漏る。弘法にも筆のあやまり」)(参照)→上手の手から水が漏る、河童の川流れ《い》
紺屋の明後日(こうやのあさって):【意味】紺屋に注文した染め物のできあがり期日はとかく延びがちだということ。約束というものはあてにならない、という意味のことわざ。(落語・紺屋高尾:「そこで、どうもあてにならないことを、『あァ、だめだ、だめだい、紺屋の明後日だよ』なんてんで、これは江戸時代の一つの通用語になりまして」)
強欲は無欲に似たり(ごうよくはむよくににたり):【意味】あまりにも欲の皮の突っ張った人は、欲張ったあげく結局何も得られないので、結果的には欲がないのと同じことである、ということ。「大欲は無欲に似たり」(講談・大岡政談安間小金次、落語・松枝宿の子殺し)とも。(落語・夢金、しわい屋、一文惜しみ:「昔から『強欲は無欲に似たり』という譬えを申します。ま、欲のないという人はございません」)
孝を立てんか忠を立てる能わず、忠たらんと欲せば親に不孝(こうをたてんかちゅうをたてるあたわず、ちゅうたらんとほっせばおやにふこう):【意味】平重盛が父・清盛を諫めたときに嘆いて言った「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」という言葉から。親に孝行すれば主君には不忠、主君に忠節を尽くせば親には不孝となるというジレンマがあり、とかく忠と孝とを両立するのは困難であるということ。(講談・片岡源五右衛門:「それを堅く相守り父上を僞りお怒りに觸れ候次第、孝を立てんか忠を立つる能はず、忠たらんと欲すれば親に不孝」)
声なくて野山に人を呼ぶものは此のごろ花のさくらなりけり(こえなくてのやまにひとをよぶものはこのごろはなのさくらなりけり):【意味】桜の花が人(花見客)を惹きつける様子をうたった歌。(落語・親子茶屋:「声なくて野山に人を呼ぶものは此のごろ花のさくらなりけり。誠に歌の通りで、桜花(はな)は声のあるものではございませんが、人を呼び寄せる力は宏大なもので」)
声はすれども姿は見えず、ほんにおまえは屁のようだ(こえはすれどもすがたはみえず、ほんにおまえはへのようだ):【意味】直喩表現。相手が自分の見えないところから呼んでいるような時に、落語ではこのようにつぶやくのである。(講談・寛永三馬術、落語・石返し、もぐら:「何所に何か居るんだが真暗で分らない、声はすれども姿は見えずホンお前は……」、鮑のし)
氷は水より出てなお冷ややか、孫は子より出てその愛勝る(こおりはみずよりでてなおひややか、まごはこよりでてそのあいまさる):【意味】氷は水からできるが水より冷たい。同様に、孫は自分の子から生まれるが子よりもずっとかわいいものだという祖父母の心情をいう言葉。(講談・忠臣二度目の清書、西行鼓ヶ瀧、落語・表札:「よく講談や浪曲でやってらァ、氷は水より出でて尚ひややか、孫は子より出でてその愛優る、てけんど、本当のこんだな」)(参照)→孫は子よりも可愛い
碁敵は憎さも憎し懐かしし(ごがたきはにくさもにくしなつかしし):【意味】囲碁の相手(実力が似通ったライバル)は、互いに小憎らしく思えるが、また慕わしくもあるもので、しばしば碁の勝ち負けのことで喧嘩になるが、そのうちまたすぐに会って打ちたくなるものである。「~又いとし」とも。(講談・三家三勇士、関東七人男、落・碁どろ、笠碁:「それじゃァこれが、ふたりこれッきり会わないかてえとそうでもない。碁がたきは憎さも憎し懐しし……」、茶わん屋敷、将棋の殿様、滑稽義士)
黄金花咲く奥州の若い殿様吉原通い(こがねはなさくみちのくのわかいとのさまよしわらがよい):【意味】五十四万石の主・伊達綱宗が吉原通いをしたという「伊達騒動」の発端部分、東北地方が黄金を産出したことから、「黄金花咲くみちのく」と通称する(万葉集の大伴家持の歌「すめろぎの御代栄えんと東なるみちのく山に黄金花咲く」にちなむ)。(講談・伊達誠忠録:「黄金花咲く奥州の 若い殿様吉原通ひ 伽羅の下駄穿いてそろそろと 忍び姿が闇でも知れる ぷんと匂いに立つうはさ」)
故郷忘じがたし(こきょうぼうじがたし):【意味】生まれ故郷は懐かしく、忘れることができないということ。(講談・寛永三馬術、笹川繁蔵:「もう旅に出てから二年も経ちまして、故郷忘じ難く余燼(ほとぼり)ももう冷めた頃と思ったので」、水戸黄門、寛永御前試合、西郷南洲、本所五人男、関東七人男、落語・長崎の赤飯、真景累ヶ淵、塩原多助一代記、牡丹燈籠)
極悪の極は善、極善の極は悪(ごくあくのきょくはぜん、ごくぜんのきょくはあく):【意味】「悪に強きは善にも」などといって、善にせよ悪にせよ極端な性格というのは案外似通っており、互いに相通じやすいものである、ということわざ。(講談・安中草三郎:「アゝ極惡の極は善、極善の極は惡、善と惡との先は近いといふが誠にさうだ」)(参照)→悪に強きは善にも強い、大悪は善に近し
極楽も地獄も己が身に存て鬼や仏は心なりけり(ごくらくもじごくもおのがみにありておにやほとけはこころなりけり):【意味】道歌。人間の善悪はすべて心がけひとつによるのであり、その結果(因果として)地獄に堕ちるも極楽往生を遂げるも、また生前日常の心のもちようによる。(講談・妲妃のお百:「極樂も地獄も己が身に有て、鬼や佛は心なりけりとの道歌の如く、譬へば惡盛んにして天に勝つとは一時の事にて、爭か其身を全うせん」)
虎穴に入らずんば虎子は得難し(こけつにいらずんばこしはえがたし):【意味】リスクを冒さなければ、大きな利益を得ることなど出来ない、という例え。「虎子」は「虎児」(とらのこ)とも。(講談・西郷南洲:「虎穴に入らずんば虎子は得難しと、頻りに之等仲間に交つて盛に往來して居りました」、誰が袖音吉)
白痴(こけ)の一念は恐ろしい(こけのいちねんはおそろしい):【意味】「白痴」は「虚仮」とも書く。愚かな者でも、いや愚かだからこそ一つの物事に集中すれば侮りがたい、時として途方もない結果を生むものだ、ということ。(講談・関東七人男:「よくそんなよい人で牢破りなぞが出来たこった、白痴の一念は恐ろしいものだね」、落語・あり:「白痴の一心で、白露先生のおかみさん、亭主が留守になりますと近所の女の子をみんな集めて、こちらの女の子にはお手玉をこしらえてやり、こちらの女の子には姉さまをこしらえてやるとか」)
コケの一寸ノロマの三寸(こけのいっすんのろまのさんずん):【意味】戸や障子の閉め方が甘く、一寸閉め残すのは虚仮、三寸残すのはノロマ、という諺。ただし「ノロマの一寸馬鹿の三寸」「下衆の一寸のろまの三寸」ともいう。ここでは「コケの一心」を洒落たものか。(講談・関東七人男:「原村の千次郎の門口へ來るといふとコケの三寸ノロマの一寸、彼の使ひ屋がのろまとコケの中だと見江て二寸バかり明て徃つたから」)
白痴(こけ)の思案は休むに似たり(こけのしあんはやすむににたり):【意味】愚者はいくら考えても大した知恵が出せるものではないから、いくら思案しても時間の無駄である、ということ。(講談・鯉の久三:「コケの思案は休むに似たりとある。まづその邊ぢやな」)(同義)→下手の考え休むに似たり
沽券にさわり、融通の車も止まる(こけんにさわり、ゆうずうのくるまもとまる):【意味】「沽券」は元来土地・家屋の売り渡し証文のこと。転じて評判・品位・体面のことをいう。「商家としての信用が傷つき、資金繰りにも影響する」ということ。(講談・安政三組盃:「事情はともかく、ちょっと估券にもさわれば、融通の車も止まる」、落語・錦の袈裟:前半のみ)
虎口身を損じ舌剣生命を失ふ(ここうみをそんじぜっけんせいめいをうしなう):【意味】さも難しい表現だが、要するに「口は禍の元」である、ということ。(落語・入黒子:「虎口身を損じ舌剣生命を失ふと、大層六ケ敷事を申す様で御坐いますが」)
虎口を逃れし心地(ここうをのがれしここち):【意味】大ピンチを切り抜けて、ほっと一安心した気持ちをいう。(講談・鎌倉星月夜:「虎口を逃れし心地して、一足先に己の居間へ立ち戻った松島が」)
小(叱)言は言うべし、酒は買うべし(こごとはいうべし、さけはかうべし):【意味】部下や家臣・子分などに意見をするとき、言いっぱなしではなく、小言を聞かせるかわり、何かをふるまったりプレゼントしてやると良い(より小言が身にしみる)、ということ。欠点を指摘するばかりでなく、一方で長所も褒めろ、ということ。または、小言というのはそのようにして言うべきものだということ。(講談・近松勘六、清水次郎長、乃木将軍、野狐三次:「オイ叱言はいうべし酒は買うべしだ、皆これを取って置きねえ」、落語・たらちね)(同義)→酒は買うべし、小言は言うべし
叱言を言えばふくれる、殴れば泣く、殺しゃ化けて出る(こごとをいえばふくれる、なぐればなく、ころしゃばけてでる):【意味】男から見ると女は扱いにくい、という意味の譬。(落語・お直し:「といって、叱言をいやァふくれちゃうし、なぐりゃ泣くし、殺しゃぁ化けて出る」)
心ある侍は暗夜に霜の降るのを知る(こころあるさむらいはあんやにしものふるのをしる):【意味】武芸に達した、つまり優れた侍というものは、冬の夜寝ていても、庭に霜が降るのにさえ勘づくものである。それくらい油断なく、とぎすまされた神経をしているものだ。(講談・安政三組盃:「心ある侍は、暗夜に霜の降るのを知るというくらい」)(参照)→武士は轡の音に目を覚ます
志あれば事遂に成る(こころざしあればことついになる):【意味】意志あるところに道は開ける、というポジティブな言い回し。(講談・栗崎道清:「志あれば事遂に成るとは、古人の教、忍耐勤勉は人に執つての寶であります」)
志は松の葉(こころざしはまつのは):【意味】「志は松の葉に包め」の略。たとえ、松の葉に包む程度のささやかなものでも、贈る方の真心がこもっていればいいのだ、という言葉。やがて「つまらないものでも贈る側の気持ちが伝わりさえすればいいのだ」という形骸的な意味に変わってしまった。「つまらないものですが」「寸志」という意味の挨拶に使う。(講談・梁川庄八、鼠小僧次郎吉、慶安太平記、茶碗屋敷:「志は松の葉といふことがございますから、紙一枚の御禮でも貴下が此方の旦那になさる、それが人の道だらうと思ふのでございます」、新吉原百人斬り)《い》
心だにまことの道に叶いなば祈らずとても神や守らん(こころだにまことのみちにかないなばいのらずとてもかみやまもらん):【意味】菅原道真の歌であるといわれる。心さえ真実にそむかなければ、ことさらに祈らなくても神様というのは守ってくれるものである、という意味。このため菅原道真は「正直の神様」であるともいう。(講談・伊賀の水月:「信心詣りや神詣はよせ。――心だにまことの道に叶いなば、祈らずとても神や守らん」、両越大評定、菅源助)
心の内は賤杣人のつくも髪、とくにとかれず、いうにいわれず(こころのうちはしずそまびとのつくもがみ、とくにとかれず、いうにいわれず):【意味】「つくも髪」は白髪のこと(九十九=百マイナス一。「百」という字から「一」を引くと「白」になる)。山中の賤しいきこりの髪のように解く(説く)ことも結う(言う)こともできない苦しい心の内をいう。(講談・祐天吉松:「ヂツと無念を堪へた表門村の常五郎、その心の内は賤杣人のつくも髪、とくにとかれず、いうにいわれず」)
心易立てが過ぎる(こころやすだてがすぎる):【意味】親しさのあまり無遠慮になること。(落語・三夫婦:「つまりお前は心易立てが過ぎるといふもの、其ぢやア済まないよ」、真景累ヶ淵)
腰かけ三升座って五升(こしかけさんじょうすわってごしょう):【意味】酒豪の形容。ちょっと腰をかけて軽く三升、腰を落ち着けて飲むと五升はいけるという大酒家をいう。(講談・寛永御前試合:「元来この真之助は大の酒ずきで、腰かけ三升坐って五升という酒豪、その上酒癖があまりよろしくない」)
乞食にも身祝い(こじきにもみいわい):【意味】物乞いをしてその日その日を食べているような者でも、自分の身の祝い事はささやかにするのである、ということ。人間は分相応に、祝うべき時にはお祝いをしなければならない。(講談・紀伊国屋文左衛門、相馬大作:「乞食にも身祝いという例え、ホンの一口なにもねえが飲っておくれ」、関東七人男、落語・不動坊)
乞食の子も三年経ったら三歳になる(こじきのこもさんねんたったらみっつになる):【意味】どんな者でも時が経てばそれなりに成長するのだから見くびるものではない、ということ。「阿呆の子でも三年飼ったら~」「三年経てば赤ん坊でも三歳になる」(講談・鼬三次)などともいう。(講談・祐天吉松:後半のみ、落語・池田の牛ほめ:「こないいうたら、言うたれ……侮ンなはんな、乞食の子ォも、三年経ったら三歳(みっつ)になりまっせェ、こない言うのや」、髪結新三:後半のみ、安中草三郎)
乞食は三日すればやめられぬ(こじきはみっかすればやめられぬ):【意味】乞食のような気楽な境涯は、一度始めて三日するとやめられなくなる。人間堕落するとそれが習い性になるので恐ろしい、ということをいう諺。(講談・由井正雪、三家三勇士:「『第一、乞食を三日すれば、やめられぬというぞ、働かないで銭や食物が貰えるのだ、こんな結構なことはない』『オヤオヤ』」、落語・黄金餅)
五七の雨に四つ旱、六八風に九は病(ごしちのかぜによつひでり、ろくはちかぜにくはやまい):【意味】ある時刻に地震のあった後に決まって起こる異変をいう。「九は病、五七は雨に四つ旱、六八ならば風と知るべし」という歌の形にもなっている。(落語・千両みかん:「あーこりゃァなんだな、今のこの地震はてえと、えー“五七の雨に四つ旱、六八風に九は病”と、くだらないことをいってるうちに、だんだんだんだんひどくなってきた」)
小姑は鬼千匹に向う(こじゅうとはおにせんびきにむかう):【意味】嫁にしてみれば、小姑というのは鬼千匹に相当するほどの難物で、嫌なものだということ。(講談・越後伝吉:「俺の娘を嫁(や)らうと思つたがモウ遣れねえ。小姑は鬼千匹に向ふといふ」)
後生一生のお願い(ごしょういっしょうのおねがい):【意味】現世で善行を施すと来世に報いがあるというから、来世のために自分の願いを聞いてくれ、一生の頼みだ、というくどき。主に女性の文句。(講談・木曾富五郎、落語・庖丁:「ちょいと寅さん、あたしが後生一生のお願いだから聞いてください」、宮戸川)
碁将棋に凝ると親の死に目に遭えない(ごしょうぎにこるとおやのしにめにあえない):【意味】碁や将棋に凝ると、あまりのも勝負に熱中するあまり、親の死に目にすら遭えないことがあるので恐ろしいからほどほどにしなさい、という戒めの入った諺。(落語・碁どろ、宮戸川:「さて覚えて見ますと、其道は面白いもので、碁将棋に凝ば、親の死目に逢えんとさえ申す程夢中に成ます」)
五常の道も度を過ぎれば身に及ぼす(ごじょうのみちもどをすぎればみにおよぼす):【意味】「五常」は「仁・義・礼・智・信」の五つの道徳。人が常に守る道だから「五常」というが、あまりこれも度が過ぎるとかえって身の禍になる、ということ。伊達政宗の教訓に由来するものか。(講談・笹野名槍伝:「人間の欠くべからざる五常の道も其の度を過ぎれば、身に及ぼす、中々世渡りといふものは、むづかしいものでございます」)
古人我を欺かず(こじんわれをあざむかず):【意味】昔からの戒めや言い伝えは決して間違っていない、古びていないので軽視してはならない、ということ。(落語・付き馬:「どうも天の配剤、破れ鍋にトジ蓋とは之を称していう。古人我を欺かずだ」)
小袖ぐるみ(こそでぐるみ):【意味】「おかいこぐるみ」とも。いつも絹の着物を着ているような贅沢な暮らしぶりをいう。(講談・妲妃のお百:「私がどんなに稼いでも旦那を小袖ぐるみにして、今までの御恩返しに遊ばせて置きますから、どうか確かりして下さい徳兵衛さん」)
こっち思いの向こう思わず(こっちおもいのむこうおもわず):【意味】片思いであること。恋愛感情が一方通行であること。また、それに思っている本人が気づいていない事態をもいう。(落語・ちきり伊勢屋:「またはじめやァがった、お前ひとり大へんにほれているんだ、こっち思いの向う思わず……」)(参照・反対)→思へば思はるる
凝っては思案に能わず(凝らざればその味わい分からず)(こってはしあんにあたわず):【意味】物事に熱中しすぎると、かえって健全な判断を損ない、真っ当な考えが浮かばなくなることをいう。(しかしながら、凝らなければその道のおもしろさが見えてこないのも事実)(講談・寛政力士伝、落語・碁どろ、笠碁、四段目:「さてコノ、凝っては思案にあたわずとよくおっしゃりますが、ここに芝居好きの小僧がございました」、後生鰻、夢金、相撲の蚊帳、蚊いくさ他多数)
今年ゃ南瓜の当たり年(ことしゃかぼちゃのあたりどし):【意味】みっともないものが勢いを得る、調子に乗ることをカボチャにたとえてこういう。または、不器量な女に願ってもない良縁が降ってわくこと。(講談・朝顔日記、落語・錦の袈裟、薬違い:「今年ゃ南瓜の当り年だなァ、夫れから何うした」)
事足りてやがて焼かるるかかし哉(ことたりてやがてやかるるかかしかな):【意味】収穫までは重宝がられるかかしも、用が済めば焚きつけなどにされてしまうように、ある時期有用とされる人物も、いずれは無用の人として忘れ去られる、という無常をいう句。(講談・佐倉義民伝)
事に臨みて驚かざるを大丈夫とする(ことにのぞみておどろかざるをだいじょうぶとする):【意味】立派な男子は、いざというときにうろたえてじたばたしたり四の五の言ったりはしないで堂々としている、ということ。人間あきらめが肝心。(落語・湯屋番:「ねェ、『事にのぞみて驚かざるを大丈夫とする』貴方、木村重成てえ方をご存じですか、大阪落城の時(みぎり)、冑に名香をたいて立派に討死をしたではありませんか、人間あきらめが肝腎です」)
言葉多きは品少し(ことばおおきはしなすくなし):【意味】口数の多い者はやかましいだけで品格に欠ける、信用できないということわざ。(落語・天神山:「言葉多きは品少し、わたいは至って無口(ものいわず)や」、米揚げ笊、りんきの独楽)(参照)→男というものは三言しゃべれば氏素性が現れる
言葉は国の手形(ことばはくにのてがた):【意味】(参照)→「訛りは国の手形」ともいう。言葉の訛りは、その人の出身地を表す証拠である、ということわざ。(講談・太閤記:「言葉は国の手形、私は清洲ご領地の良民でござる」、両越大評定、西郷南洲)
子供は親の鑑(こどもはおやのかがみ):【意味】子を見れば、育てた(しつけた)親の人となりというのが大抵察せられるということ。子は親を見て(影響されて)育つからである。(落語・佐々木裁き:「子供は親の鑑とかで、子供を見ると、その親がわかるという……」)
子供は風の子(こどもはかぜのこ):【意味】子供は寒い日でも体を鍛えるため、表で元気に遊ぶものだ、ということ。(落語・真田小僧)
こなから(こなから):【意味】一升の半分=五合(なから)のさらに半分の升のこと。「二合半」、つまり「二号はん」=お妾さんの隠語。(落語・算段の平兵衛:「でこの一升のなから、なかばが五合で、更にその半分というので、こなから。で、二合半(二号はん)ですな」)
子なくとも泣かぬ(こなくともなかぬ):【意味】子供がない、後継ぎがないのは不幸なことではあるというが、子供がなくても嘆くほどのことはない。不出来な子があるゆえに泣きを見るということが世の中にはいくらもあるのである。(講談・柳生三代:「子無くとも泣かぬと云ふが、我は子供があつても歎きを見なければならぬとは何んたる不幸であらう」)(参照)→ない子には泣きを見ない
(どこまでも)子に甘いは(母)親の常(親心)(こにあまいはおやのつね):【意味】たとえ口では厳しいことを言ってはいても、頼ってくる子供に甘いのはどこの親も同じである、という諺。特に女親は倅に無心されるとついつい金を出してやったりしてしまうのである。(講談・近松勘六、倉橋伝助:「しかし子に甘いは母親の常、早く会いたい、話をききたいと、しきりに気をもんでおります」、紀伊国屋文左衛門、宮本武蔵、大島屋騒動、天保六花撰、三家三勇士、爆裂お玉、落語・代脈)
子に越す宝はない(こにこすたからはない):【意味】仮に莫大な金銀財宝をもってしても、子宝に勝ることはできない。子供はそれほどかわいいものなのである。(落語・搗屋幸兵衛:「そこの家のご惣領・ご次男が羽織袴で坐っていて……『あたくしどもの宝はこれでございます』ッてえ話があらァ。……子に越す宝はねえッてくらいだ…ェえ?」)
子に巻かれる親(こにまかれるおや):【意味】「子に引かるる親心」と同義か。(講談・本所五人男:「とは云ひましたが併し子に巻れる親で之より川並の長次郎に段々話しをして貰ふと雖も元來長次郎と云ふ奴は無口にて」)
小糠三合持ったら婿養子に行くな(こぬかさんごうもったらむこようしにいくな):【意味】男だったら、たとえわずかでも資産があったら、独立すべきで、婿養子に行こうなどという了見を起こしてはいけない、という教訓。(講談・祐天吉松、落語・星野屋:「かかあが面倒臭えことをいやァこっちからオン出て行かにゃならん。小糠三合持ったら婿養子に行くなというくらいなもんで、なかなか辛いもんだ」、ろくろっ首、ざこ八、腕食い、春雨茶屋)
この酒を止めちゃいやだよ酔わせておくれまさかしらふじゃ言いにくい(このさけをとめちゃいやだよよわせておくれまさかしらふじゃいいにくい):【意味】意味をつけるのが野暮な気がする都々逸。酒の力を借りて思いのたけを述べたい、くどきたい、と宣告しているのである。(落語・妾馬:「この酒をとめちゃいやだよ酔わせておくれ、まさかしらふじゃいいにくい、なんてね、いいもんだねェ殿様ァ」)
この時早くかの時遅く(このときはやくかのときおそく):【意味】講談の決闘場面などにおける常套表現。「次の瞬間ただちに」「瞬時に、反射的に」ということ。(講談・赤穂義士本伝、塚原ト伝:「この時遲くかの時早し、小太郎汀の所まで乘込み來り、『ヤア彈正、逃ぐるとは卑怯なり。返せ、戻せ、船を返して勝負に及べ』」、山中鹿之助、寛永御前試合ほか多数)
この世の中、捨てるお女中もなし、捨てる殿方もなし(このよのなか、すてるおじょちゅうもなし、すてるとのがたもなし):【意味】(参照)→「割れ鍋にとじ蓋」というが、どんな男女にもそれなりのお相手が必ずあって、あぶれないようになっている。世の中はうまくできたものだ、という言葉。(落語・鋳掛屋:「とらとや、オッタン。この世の中、捨てるお女中もなし、捨てる殿方もなし。やっぱり、鍋釜屋は、鍋釜屋みたいなもん同士、つるむわなァ」)
碁は牛のごとく、将棋は早馬のごとし(ごはうしのごとく、しょうぎははやうまのごとし):【意味】囲碁は時間をかけて打つもので、一方将棋は素早く指すものだ、という諺。(落語・浮世床:「よし、シャレ抜きとくりゃ早えぞ。『碁は牛の如く、将棋は早馬の如し』てえやつだ」)
子は生んでも心は生みつけぬ(こはうんでもこころはうみつけぬ):【意味】親は子の体を生むことは出来るが、たとえ姿形は似ても、性格ばかりは別物で、まるで似ないことがあってもおかしくない、ということ。(落語・菊江の仏壇:「子は生んでも心は生みつけぬ、すみませんでした、番頭どん……番頭さんは?」)(参照)→瓜の蔓に茄子はならぬ、蛙の子は蛙
子は親に似たる者ぞと亡き人の恋しき時は鏡をぞ見よ(こはおやににたるものぞとなきひとのこいしきときはかがみをぞみよ):【意味】子は親に似るものであるから、親が恋しく思えた時は、鏡を見るのが良い、という道歌。(落語・松山鏡:「『愛いやつである、その方にとらせる。余人に見せるなよ』子は親に似たるものぞと亡き人の、恋しきときは鏡をぞ見よ……お歌をつけていただいてまいりました」)
子は(夫婦の)鎹(こはかすがい):【意味】子供への愛情が夫婦の縁をつなぎとめることをいう。「鎹」は二本の材木などをつなぎ止める両端の曲がった金具のこと。(落語・子別れ:「子は夫婦の鎹いとはよく言つたものでございます」、女の子別れ)
子は三界の首枷(こはさんがいのくびかせ):【意味】親は子を思う心に縛られ、一生苦労が絶えないものであるということ。三界とは1.「過去」「現在」「未来」、2.「欲界」「色界」「無色界」の二説ある。「首枷」は刑具の一種。(講談・国定忠治:「アゝ殘念、子は三界の首枷とは此の事ですね、仕方がねえ、癈(よ)しませう」)(参照)→女は三界に家なし《い》
田作(ごまめ)の歯軋り(ごまめのはぎしり):【意味】弱小な者が悔しがる様子をいう例え。「石亀の地団駄」ともいう。(講談・赤穂義士本伝:「お目付位の言つたことは所謂田作の齒軋り、どうすることも出來ませぬ」、両越大評定、塚原ト伝、西郷南洲、天保六花撰)
小娘と小袋は油断がならない(こむすめとこぶくろはゆだんがならない):【意味】小袋(物を持ち歩くための袋)はすぐほころび、同様に小娘はすぐに色気づくので油断できない、またはデリケートなので扱いが厄介だ、という例え。「紙袋と小娘は……」とも。(講談・水戸黄門、梅ヶ枝仙之助、本所五人男、落・おせつ徳三郎・花見小僧、おかめ団子:「小娘と小袋は油断がならねヱ。御用心をなせへまし、ハイ然やうなら」)
米の飯がてっぺんにのぼった(こめのめしがてっぺんにあがった):【意味】贅沢に慣れてまっとうな判断がつかなくなっている状態を例えてこういう。(落語・百年目:「かわいがってやれば増長する。米のめしが天辺へあがったというのは貴様のことだ」)
米の飯とお天道様(太陽)はどこへいったってついて回る(前半・後半逆の場合あり)(こめのめしとおてんとうさまはどこへいったってついてまわる):【意味】どこの土地でも太陽が照っているように、人間どうなろうと、食っていく程度は楽勝である、という楽観論。落語では往々にして勘当された道楽息子がこのようにほざくが、たちまち世間の厳しさに打ちのめされるのが通例。(講談・安政三組盃、大島屋騒動、由井正雪、慶安太平記、落語・唐茄子屋:「え、太陽(てんとう)様と米の飯は、ついてまわるといったが、どうだい、ついてまわってるかい?」、湯屋番、しめこみ)
子持ちの眠たがり(こもちのねむたがり):【意味】育児中の母親はとかく疲れて眠りたがるということ。(落語・三年目:「しょうがないな、どうも。子持ちの眠たがりてえが、そんなに眠いもんかな」)
薦の上から三貫(こものうえからさんがん):【意味】貧乏で布団がなくて、藁むしろの上で出産しても、子供を産むのには三貫の銭がかかる、という諺。子供を作るというのは、すでに養育以前に物入りであるということ。(講談・薮原検校、落語・味噌蔵、位牌屋、寿限無:「些と確かりして呉れなくつちやァ困るよ、オギャアと生れりやァ菰の上にも三貫というなァ昔からの譬」)(参照)→産の入り用は藁の上から三貫
子も踏まず枕も踏まず時鳥(こもふまずまくらもふまずほととぎす):【意味】沢庵禅師が、修行中の柳生宗矩に剣の達人・上泉伊勢守がいかに優れていたかを伝えるために教える句。伊勢守は、平生から油断のない人で、寝ているときに不意にほととぎすが鳴くと、目を覚ましてぱっと表へ飛び出していく。その際枕も側に寝ている子供も踏んづけなかった。剣でも禅でも、油断のない心というものが大事であることを説いたもの。(講談・柳生三代:「お武家斯ういふ句があるが御承知か、子も踏まず枕も踏まず時鳥、何とお解りかな」)
菰を着る(こもをきる):【意味】乞食になること。(講談・西郷南洲:「二人の乞食が劍菱男山の菰を着まして、汚ない手拭いを被つて」)
子ゆえに迷う三悪道(こゆえにまようさんあくどう):【意味】「子故の闇」に同じ。「三悪道」とはいわゆる「三途」。人が業によって至るという地獄、餓鬼、畜生の三道。(落語・長崎の赤飯:「てまえも一時は立腹いたし、世に申す、子ゆえに迷う三悪道」)
子故の闇(こゆえのやみ):【意味】「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」という藤原兼輔の有名な歌(「後撰和歌集」や「大和物語」に出てくる)にちなむ。子への一途な盲愛=煩悩のために、親の心は時として常軌を逸することさえあるということ。「子に迷わぬ親はなし」(講談・鰯屋騒動、落語・さら屋)とも。(講談・梁川庄八、安中草三郎、落語・軒づけ、五段目:「人の足音とぼとぼと、道は闇路に迷はねど、子故の闇につく杖も、直ぐなる心堅親爺」)
これほど想うにもし添われずば わたしゃ出雲へ暴れ込む(実も宝の持ち腐れ)(これほどおもうにもしそわれずばわたしゃいずもへあばれこむ・じつもたからのもちぐされ):【意味】都々逸。こんなに一途に慕っているのに、もし一緒になることができないなら、縁結びの神様に苦情を言いに暴れ込んでやる。または、いくら実を尽しても宝の持ち腐れのようなものだ、の意。(落語・夢の酒:「小唄の二つ三つもやってあとが都々逸、え? これほど想うにもし添われずば、わたしゃ出雲へ暴れ込む、唄い尻をぽォんとあげて、おれの顔をじィッと見てねェ」)
是れも一生、彼れも一生(これもいっしょう、あれもいっしょう):【意味】「鋳掛松」の芝居(河竹黙阿弥作)の名セリフ。「あれも一生、これも一生、こいつぁ宗旨を変えずばなるめえ」。主人公が自分の浮かばれぬ暮らしと栄耀栄華を欲しいままにする人のそれを比較し、思い切って商売道具を川へ投げ捨てて盗賊となり、太く短く生きようと決意する際に使う。(講談・鋳掛松:「アゝ羨やましいことだなア、是も一生、彼れも一生、鋳掛屋をして居ちやア所詮出来ねえ彼の栄耀」)
転ばぬ先の杖(ころばぬさきのつえ):【意味】失敗した時・災難に備えて、あらかじめ備えておくこと。(講談・天保六花撰:「此所に黒衣とあるは間違つて居るといふお叱りもありませうと存じますから転ばぬ先の杖一言申上て置きます」)
衣は骭に至り袖腕に至る(ころもはかんにいたりそでわんにいたる):【意味】裄丈の短い着物を着て、臑や腕をあらわにすること。いかにも武骨な人物の風体をいう。(講談・柳生三代:「然るに其頃兵兒の強がり連中は、所謂衣は骭に至り袖腕に至るの風俗で、白木綿の帯を一反も腰へグルグルと巻付け」)
転んでも只は起きない(ころんでもただはおきない):【意味】したたかな(欲の深い)者の形容。たとえ転んでも、必ず何かをつかんで立つ。(落語・らくだ:「吝嗇たつて大変な握り手で、転んでも只は起きないと云ふ風でございます」)
恐い恐いと思えば(棕櫚)箒も鬼に見える(こわいこわいとおもえばほうきもおににみえる):【意味】人間、恐怖心を抱いているときには、棕櫚の毛で作った箒を見ても鬼に見えて怯えてしまうものだ。(講談・清水次郎長、相馬大作、天保六花撰、落語・植木のお化け、米搗の幽霊、おすわどん:「怖い怖いと思うと棕櫚箒も幽霊に見えるという比喩の通り、何でも物は思いように依て其の通り見えたり聞えたりする、所謂神経でございます」)(同義)→枯れた尾花を幽霊と見る
子を思う親の心は四手籠暫し憩らう息杖もなし(こをおもうおやのこころはよつでかごしばしやすらういきづえもなし):【意味】作者未詳の道歌「子を思う親の重荷の四手駕籠しばしも休む息杖はなし」による。子を思う親は、重い四手駕籠(通常町人が乗る、四本の竹を柱にした駕籠)をかつぐようなもので、寸時も心の安まることがない、という意味。(講談・横谷珉貞:「子を思ふ親の心は四手籠暫し憩らふ息杖もなし 親が子を思ふ情は又格別なもの、宗兵衛はうれしさうに吾家を指して歸つて參ります」)
子を見ること親に如かず(こをみることおやにしかず):【意味】子の性格や能力について、親ほど知り抜いている者はいない、という諺。(講談・神崎与五郎:「子を見る事親に如かず、與左衛門が見抜いた通り、後に四十七士の中へ加はりました」、伊達誠忠録、音羽丹七、太閤記、岩見重太郎、越後伝吉、西郷南洲、赤穂義士本伝、大石内蔵之助、落語・滑稽義士)(参照)→親を見ること子に如かず、家来を見ること主に如かず
子を持って知る親の恩(こをもってしるおやのおん):【意味】自分が親になって、初めて親のありがたみが分かるという諺。(落語・表札:「子を持って知る親の恩、と申しますが、子の可愛いい、というのは、人間だけではありません」)
今日様に申し訳ない(こんにちさまにもうしわけない):【意味】お天道様に済まない、倫理的に後ろめたいということ。(落語・藁人形:「この多額(たぶん)のお布施を頂戴するてえなァ、これァ今日様へも申し訳ねえんでございますが」)
権八(ごんぱち):【意味】居候のこと。白井権八が幡随院長兵衛の居候であったことからこう言われる。(落語・船徳、穴泥:「おいらァなァ、こちらの出入りの鳶頭の家の権八で、向こう見ずの勝てぇ者だァ」、大工調べ)
権兵衛が種蒔きゃ烏がほじくる(三度に一度は追わねばなるまい)(ごんべえがたねまきゃからすがほじくる):【意味】俗謡の歌詞。誰かがせっかくし終わった仕事を、別の者が台無しにすること。傾注した労力が水の泡になること。(落語・夏泥:「権兵衛たって、いろンな権兵衛がありますからなァ。畑へ種を撒いて、烏にほじくられちまう権兵衛もある」)
権兵衛蒟蒻辛労が利(ごんべえこんにゃくしんどがり):【意味】「骨折り損のくたびれ儲け」を意味する上方の言い回し。蒟蒻屋の権兵衛という男が、採算度外視の商売をし、異様に繁昌した割にほとんど儲からなかったというのが由来、という。「三十石」のサゲに使われる。(落語・三十石:「大阪の古い諺に『権兵衛こんにゃく辛労(しんど)が利』という言葉がある。なんの事かというと、東京(こちら)でいうと『骨折り損のくたぶれ儲』という諺がありますがそれと同じなんです」、三十石夢の通い路)
婚礼に帰るもどるは忌み言葉(こんれいにかえるもどるはいみことば):【意味】婚礼の席で帰る、戻る、別れる、去る、切る等々の語は不吉なので使わない。(落語・たらちね:「婚礼に帰るもどるは忌言葉。いい加減でここを切り上げようというのさ」)
編:松井高志・2004-
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