[す]で始まる語句・ことわざ
水魚の交わり(すいぎょのまじわり):【意味】とても親しい間柄であること。(講談・木村岡右衛門:「叔父の間瀬と木村岡右衛門とは、ふだんより水魚の交わり」、木村長門守)
水道の水で産湯を使う(すいどうのみずでうぶゆをつかう):【意味】江戸っ子が啖呵の中で使う言い回し。玉川上水から引いた市中各戸に引いた水道を使ったというのが、江戸っ子であるという証拠であり、プライドのよりどころであった。(落語・水屋の富:「江戸っ子の啖呵の一つに『おう、おれァ水道の水で産湯ゥつかったんだ』なんてえのがございますが」他)
随徳寺を決め込む(ずいとくじをきめこむ):【意味】「ずいっと」そのままにしておくことから、寺の名めかした言い回しで、後のことを構わずとんずらすること。「一目山随徳寺」などともいう。(講談・鼠小僧次郎吉:「目ぼしい雑物を引っさらって、随徳寺を極め込むのが上分別だあね」、安中草三郎、百猫伝)(参照)→ドロンをきめる
酸いも甘いもかみ分けた(すいもあまいもかみわけた):【意味】経験豊富で、世間のからくりや人情の機微を弁えている、ということ。(落語・三枚起請:「親父(おとつ)さんはアゝいう酸いも甘いも御存じの方だから」、山崎屋、唐茄子屋)
据え膳食わぬは男の恥(すえぜんくわぬはおとこのはじ):【意味】据え膳とは準備(お膳立て)を整え、相手に受けてくれるよう待ちかまえる状態。女の方から男に言い寄ることを言う。女の方から関係を持ちかけられて、手を出さないのは男の恥辱である、という諺。(講談・笹川繁蔵:「決められた勢力の方こそいゝ災難、否女難で、据え膳食わぬは男の恥というけれど、これがとんだ事件になりました」、本所五人男、百猫伝)
すがれている(すがれている):【意味】「末枯れる」。盛りを過ぎること。(落語・御慶:「なるほど、うめえね、さすがは商売商売だ、言うことがすがれてやがら」)
頭寒足熱(ずかんそくねつ):【意味】頭を冷却し、足を温めるという健康法のこと。(落語・無精床:「むかしから頭寒足熱といって、あたまは冷やさなくっちゃあいけねえ。水でしめしな」、一文惜しみ)
好きこそ物の上手(すきこそもののじょうず):【意味】好きなればこそ、飽くなき努力が出来るので、最終的にはその道の名人上手となることができるのである、という諺。(講談・関東七人男、左甚五郎、梁川庄八、山中鹿之助、寛永御前試合、加賀騒動、安中草三郎、緑林五漢録、落語・将棋の殿様、九段目:「なるほど好きこそもののじょうずなれと申しますから、うまくできる人は相違ないが、ただここに規律ということがありません」、相撲の蚊帳)(参照)→上根と器用と好きと三つのうち好きこそものの上手なりけり《い》
過ぎたるは尚及ばざるが如し(すぎたるはなおおよばざるがごとし):【意味】「論語」より。物事は何でも中庸というのが大事で、度を越してしまうと、及ばないのと同じでよろしくない、ということ。(講談・大久保彦左衛門、落語・たらちね、佛馬:「過ぎたるは猶及ばざるが如しという事がありますが、誠によい戒でございます」)《い》
好きな道(物)には心を奪われる(すきなものにはこころをうばわれる):【意味】何か趣味や好物のある人は、それを目の前にちらつかされると夢中になって他のこと(本来の仕事など)に身が入らなくなる、ということ。何か相手の気をそらすには相手の好む道に関係した物事を持ち出すのが有効である、ということ。(講談・伊賀の水月、天野屋利兵衛、落語・節分、狂歌家主:「あの……『好きなものには心を奪われる』てえの」、掛取万歳、四段目、新治療=疝気の虫、芝居好の泥坊、三百餅=狂歌家主)
好きには身を窶せ、粋は身を食う(すきにはみをやつせ、すいはみをくう):【意味】女や芸事関係の道楽が過ぎると、耽溺したあげく健康を損ない、身を滅ぼすことすらある、という警句。(講談・寛永三馬術:「それが好きには身を窶せ、悴は身を食ふなどと能く下世話に申しまするが」、落語・お初徳兵衛)
杉は直ぐ松は曲みて面白し人の心は奇なり妙なり(すぎはすぐまつはいがみておもしろしひとのこころはきなりみょうなり):【意味】杉の木は真っ直ぐ、松は枝分かれして伸びるところに妙味があるように、人の性格は十人十色である、という狂歌。(落語・佃島:「エー 杉は直ぐ松は曲みて面白し人の心は奇なり妙なり ト申します」)(参照)→十人寄れば気は十色
少しきを忍びざれば、則ち大謀を乱る(すこしをしのびざれば、しなわちたいぼうをみだる):【意味】わずかのことを辛抱できないような人は、それがもとで一生の大事を誤ることさえもある。(講談・百猫伝:「己に古人の戒めにも、少しきを忍びざれば、則ち大謀を乱ると云ふ、金言を顧みず、一時の怒りに堪え兼て、自ら害を引出すは、愚と云ん乎痴と云ん乎」)
少し腹が北山時雨(すこしはらがきたやましぐれ):【意味】「北山時雨」は、事態の進行を表すシャレで、「だんだん思い通りに事が運んできた」という意味だが、惚れている、あるいは空腹になってきたという意味でも使う。この場合は空腹感の表現。(講談・安政三組盃:「少し腹が北山時雨ときているんだ。そこらの夜明かしへいって、底をあたためていきてえと思うんだが」)(参照)→腹も少し北山
少しゃ馬鹿でも素直にかぎる、女のきついのは屑のくず(すこしばかでもすなおにかぎる、おんなのきついのはくずのくず):【意味】女性は多少間が抜けていても素直な人柄であれば良い。きつい性格の女は屑の中の屑である。これ、編者が作ったんじゃありませんよ。あるんです、こういう言葉が。(落語・熊の皮:「都々逸の文句にもあります、“少しゃ馬鹿でも素直にかぎる、女のきついのァ屑の屑”……酷(し)どい都々逸があればあるもんで……」)
すすきの穂にも脅える体(すすきのほにもおびえるからだ):【意味】(類義)→木にも萱にも心を置く身と同じ。追われている身なのでちょっとしたことに対してもビクビクしながら暮らさなければならない境涯のこと。(講談・天保六花撰:「『しまった、お客が来たな、面を知った人間じゃあるまいか』すすきの穂にもおびえるからだ」)(参照)→脛に傷もちゃ笹原走る、尾花の末を渡る風の音にも心を止め
雀の千声よりも鶴の一声(すずめのせんこえよりつるのひとこえ):【意味】下っ端がああだこうだとワイワイ騒ぐよりも、大物が一声ぴしりと発言するとその場がすっと収まる、ということ。いわゆる「鶴の一声」。(講談・夕立勘五郎:「『ヤア此奴飛んでもねえ事をしやアがつて、刀を鞘に納めねえか』といふと雀の千聲より鶴の一聲」、村越茂助、慶安太平記、祐天吉松・赤穂四十七士伝:後半のみ、西郷南洲:後半のみ、落語・三味線栗毛、竹の水仙・妾馬・淀五郎:後半のみ)
すっぱらげっちょ(すっぱらげっちょ):【意味】口論の際、興奮して相手のことを罵倒する時に使う表現。意味はない。「すっぺらげっちょ」(落・小言幸兵衛)「すっからべっちょ」と表記する速記(落・五人廻し)も。(落語・笠碁:「いいかげんにしやがれ、なにいってやんでえ、すっぱらげっちょ!」)(類義)→あんにゃもんにゃ
すっぽんとお月様(すっぽんとおつきさま):【意味】「月とすっぽん」。形は似通っていても内実に大差があること。(講談・赤穂四十七士伝、落語・刀屋:「若旦那とお前、年期野郎の奉公人とは〈すっぽんとお月さま〉でしょうがないやね」、無学者=木火土金水)《い》
捨目捨耳(すてめすてみみ):【意味】何気なく小耳に挟んだり、ちょっと見かけたこと(から、画期的なアイデアが湧くこと)。(講談・大塩瓢箪屋裁き:「捨てているうちにこう為になるっていうんで『捨目捨耳』というのかも知れませんな」)
酢でも蒟蒻でもいかん(すでもこんにゃくでもいかん):【意味】「こっちが四の五の言っても到底通じない」手強い奴(奉行ややくざ者)を形容するときに使う。(講談・薮原検校、落語・佐々木裁き:「佐々木さんと言うたら酢でもコンニャクでもいかんと言うて町中のお年寄り、ふるえ上がってござるがな」)
捨てる神あれば拾う神あり(すてるかみあればひろうかみあり):【意味】世間は広いから、自分を見放す人もいれば助け上げてくれる人もいる、決して捨てたものではない、という諺。(講談・大島屋騒動、安中草三郎、本所五人男、落語・首ったけ:「捨てる神あれば拾う神ありだ。俺のような者でも亦何とか思つて呉れる花魁が出来たんだ」、雪の瀬川=夢の瀬川)
脛に傷もちゃ笹原走る(すねにきずもちゃささはらはしる):【意味】心にやましいところのある者は、笹の葉の鳴る音にもびくびくするので笹原を駆け抜けてしまう。(落語・札所の霊験:「脛に傷持ちゃ笹原走るのたとえ。お梅もなにか落ちついていられませんので家へ帰る」)(参照)→木にも萱にも心をおく身、すすきの穂にも脅える体、尾花の末を渡る風の音にも心を止め
ずぶ六、ずぶ七(ずぶろく、ずぶしち):【意味】泥酔状態、または泥酔した人のことをいう。「ずぶ六」も「ずぶ七」も同じ。それぞれ単独で使う場合がある。(講談・関東七人男、落語・初音の鼓:「とこれから一杯飲んで、ずぶ六、ずぶ七ぐらいに相なりまして」、宮戸川、真景累ヶ淵、なめる)
すみかへて見ても浮世は鍋の尻くらうせぬ日は一日もなし(すみかえてみてもうきよはなべのしりくろうせぬひはいちじつもなし):【意味】じたばたしても、下々の者にとって所詮生きることは苦労の連続である、というペシミスティックな内容の狂歌。(落語・団子平:「すみかへて見ても浮世は鍋の尻くらうせぬ日は一日もなし と私共の下等社会には苦労がたえる間がございません」)
相撲取りには何処ようて惚れた稽古帰りの乱れ髪(すもうとりにはどこようてほれたけいこがえりのみだれがみ):【意味】力士の男らしさ、魅力が一番表われているのは、稽古帰りに、結った髪がちょっと乱れているところだ、という意味の歌。(講談・笹川繁蔵:「相撲とりには何処ようて惚れた、稽古がえりの乱れ髪――という文句があるが、あの稽古帰りの相撲の姿というものは、なんともどうもイブセキもので」)
(世の中は)寸善尺魔(すんぜんしゃくま):【意味】世の中というのは、ちょっと(一寸ばかりの)いいことがあると、すぐ後に大きな悪いことが起こる。幸運は長続きした例がないものだ、という悲観的な考えを述べた言葉。(講談・大岡政談鉄砲弥市、寛永三馬術:「實に世の中は寸善尺魔、まゝにならぬが浮世でございます」、猿飛佐助、新吉原百人斬り)(参照)→よい跡は悪い
編:松井高志:2004-
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