[せ]で始まる語句・ことわざ
精神一(たび)到(れば)、何事か成らざらん(せいしんいっとう、なにごとかならざらん):【意味】精神を集中して物事に取り組めば、成し遂げられないことは何もない、ということ。(講談・水戸黄門、祐天上人:「精神一たび到れば何事か成らざらんやと申します」、忠僕直助、木村長門守、田宮坊太郎)(参照)→何のその岩をも徹す桑の弓
聖人に夢なし、馬鹿に苦労なし(せいじんにゆめなし、ばかにくろうなし):【意味】「淮南子」より。聖人は雑念を持たないから、あらぬ夢を見るようなことがなく、逆に馬鹿は夢想ばかりで現実的に物事を考えないので、あくせく苦労をしない。(講談・笹川繁蔵、慶安太平記、落語・金魚の芸者、質屋庫:「一方では『聖人に夢なし』と言いまして、あんなものは信じるに足りないもんだという」、鼠穴、隅田の花見=長屋の花見)
精出せば氷る暇(間も)なき水車(せいだせばこおるまもなきみずぐるま):【意味】毎日毎日の務めに孜々として励んでいれば、人間というのは迷い悩んで絶望などしている暇もなく、そうこうするうちどうにか生きていくものだ、ということ。松本蓮之(珪琳)の俳句「精出せば氷る間もなし水車」による。(講談・大塩瓢箪屋裁き、正直車夫:「あしたの朝は早く起き、夜は遅くまで、精出せば氷る間もなし水車」)
せいては事をし損ずる(せいてはことをしそんずる):【意味】あまり先を急ぐと、かえって失敗することが多い、という戒め。(講談・忠僕直助、太閤記、野狐三次:「ナニ悠くりやらなくっちゃいけやせん、急いては事を仕損ずるといいやす」、梁川庄八、赤穂四十七士伝、落語・入黒子)《い》
生は難く死は易し(せい:しょう:はかたくしはやすし):【意味】(参照)→死は易く生は難い、死は一旦にして得易く、生は万代に得難しと同じ。(講談・両越大評定:「生は難く死は易しと聞き及びます、今日のところは御無念でもありませうが、我慢を遊ばして」、赤穂四十七士伝)
積善の家に余慶あり(せきぜんのいえによけいあり):【意味】善行を重ねた人の家には、思いもかけぬ幸運がやってくるものだ、という諺。これに続き「積悪の家には余殃あり」という逆の意味の対句がある。(講談・祐天吉松、鰯屋騒動、落語・ちきり伊勢屋:「『積善の家に余慶あり』……『ちきり伊勢屋』でございます」、髪結新三、景清)
関取は百人弟子を持って、九十九人が食いつぶしても、関取が一人出来ればいい(せきとりはひゃくにんでしをもって、くじゅうくにんがくいつぶしても、せきとりがひとりできればいい):【意味】江戸時代は現役の幕内力士が弟子をとって養成しており、当時でも入門者のうち関取まで出世できるのは百人に一人だった。百人に一人でも関取が出れば、弟子持ちとしては成功したことになった(採算が取れた)わけである。(講談・幡随院長兵衛:「關取は何んのかのと云つたつて、いゝ弟子を持たなければ樂は出來ません、百人の弟子を持つて九十九人が食潰しても、其の内に一人關取が出來りア宜いとしてあります」)
赤貧洗うがごとし(せきひんあらうがごとし):【意味】極貧状態を表す慣用表現。きれいさっぱり洗い流したように、無一物なのである。(講談・寛政力士伝:「其の看病やら、何やらで赤貧洗ふが如しといふひどい貧乏」、太閤記、西郷南洲)
世間に人鬼はいない(せけんにひとおにはいない):【意味】(参照)→渡る世間に鬼はないに同じ。(講談・寛永三馬術、落語・お目見え:「世間にやア人鬼ばかりもねえもんで戸長どんの婆さまハアえらア親切にして呉れやしてね」、唐茄子屋)
雪月花、何れも皆酒なり(せつげっか、いずれもみなさけなり):【意味】(参照)→汲む酒はこれ風流の眼なり月を見るにも花を見るにもに同じ。(講談・荒木又右衛門:「ハゝッ有難き仕合せに存じまする。雪月花、何れも皆酒なりとか申しまする」)
銭金は夫婦でも他人(ぜにかね:ぜにきん:はふうふでもたにん):【意味】たとえ夫婦の間でも、こと金銭に関する限り、他人同士のようにシビアでなければならない、という考え方。(講談・関東七人男:「夫婦の中でも錢金は他人といふ事もあり」、落語・文違い)(参照)→何の仲でも銭金は他人
銭のないのが縁の切れ目(ぜにのないのがえんのきれめ):【意味】金でつながる人間関係は、資金が尽きればたちまち途絶するような、はかないものであるということ。(落語・子別れ:「銭のないのが縁の切れ目といいますが、これはモウ其れに相違ないようで」)
銭(金)のないのは首のないのに劣る(ぜにのないのはくびのないのにおとる):【意味】世の中つまりところ金が大事なので、金銭を持たないというのは自分の首がないのと同様不自由なものである、という例え。(講談・清水次郎長、木村長門守、落語・死神:「待てよ、金が無えのは首の無えのに劣るというが、シテ見るというと、俺は首が無え様なもんだな」)(参照)→得るもの先に立ち、失うもの後につく、世の中に金のないのは首のないのに劣る
背に腹は代えられない(せにはらはかえられない):【意味】当面差し迫った課題のために、他を顧みている余裕がない、ということ。(講談・天保六花撰、祐天吉松:「その十一になる娘のおきちを、可哀想ではございますが、脊に腹は替へられません」、本所五人男、新吉原百人斬り、関東七人男、薮原検校、落語・算段の平兵衛、汲みたて)《い》
善悪ともに染まりやすい(ぜんあくともにそまりやすい):【意味】人は善にも悪にも感化されやすいものである、という諺。(落語・万金丹:「善悪ともに染まりやすいもので、毎朝本堂でもってお念仏でございます」)
善因善果、悪因悪果(ぜんいんぜんが、あくいんあくが):【意味】良い行いをすれば良い報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがある。いわゆる因果応報をいう言葉。(講談・妲妃のお百:「善因善果、惡因惡果と申しまして、善い事をすれば善い報いが來る、惡い事をすれば惡い報ひが來る事は、之れ世間の定法でございます」)(参照)→積善の家には余慶あり、善を成せば善の報いあり、悪事を企むものは悪報あり
せんぎくせんだんにあって学ばざれば金たらんと欲す(せんぎくせんだんにあってまなばざればきんたらんとほっす):【意味】落語「たらちね」で、言葉遣いの異様に丁寧な女房のセリフに出てくる表現であるが、演じている落語家自身もどう表記してどういう意味をさすのか分かっていない、という奇怪な文句。従って編者にも分からない。速記では一部、漢字がとりあえず類推して当ててあるが、これも正しいのかどうか分からないという「珍きまり文句」。上方落語「延陽伯」(「たらちね」と同内容)の速記では、「仙菊栴檀に入って学ばざれば欣たらんと欲す」。どっちみち意味不明。(落語・たらちね:「『せんぎょくせんだんに行って……これを学ばざれば金たらんと欲す』『えっ?“金太郎干すゥ?”』」、延陽伯)
嬋娟窈窕(せんけんようちょう):【意味】姿のあでやか、たおやかな美女を形容するときに使われる慣用的な表現。「窈」の字はこのような意味で使う。(講談・安政三組盃:「中から出ましたのは嬋娟窈窕、なんともエレガントなひとりの若婦人、天女が天下ったかと思われるばかり……」、宮本武蔵、鎌倉星月夜、西郷南洲、爆裂お玉、落語・札所の霊験)
前車の(覆るは後車の)戒め(ぜんしゃのくつがえるはこうしゃのいましめ):【意味】先人のおかした失敗は、後進の教訓になる、ということ。教訓とせず、同じ失敗を繰り返すのを「前車の轍を踏む」という。わだち馬鹿よね。(講談・太閤記、由井正雪、寛永御前試合:「しかし『前車の覆るは後車の戒め』尊公に拙者が手心を教えて進ぜる」)
千丈の堤も蟻の一穴より破れる、大家の焼亡も一爐に始まる(せんじょうのつつみもありのいっけつよりやぶれる、たいかのしょうぼうもいちろにはじまる):【意味】前半は「蟻の穴から堤も崩れる」ともいう。堅固な堤防も、蟻の開けた穴から崩れる。大きな家も一つの炉の火の不始末から焼け落ちてしまう。ともにわずかな油断が大きな損失を招くという意味の警句。(講談・大石内蔵助、天明水滸伝、吉良屋敷替え:「非常につけこみ野心の曲者お廓内に侵入いたさないでもない、蟻の穴から千丈の堤のたとえ、かくては一大事と心得る」、南部坂雪の別れ)(参照)→百里の堤も蟻の一穴から破れる
千辛万苦(せんしんばんく):【意味】さまざまな辛いこと、苦しいこと。(講談・梁川庄八:「千辛萬苦して親の敵を討たんとする夫婦の者を、多勢にて取込め、騙し討に致すとは、武士道にあるまじき振舞」)
先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし(せんせいとよばれるほどのばかでなし):【意味】先生と呼ばれて得意になっている人を皮肉る川柳。または、ちょっとしたことですぐに人をおだてる世間への諷刺。(落語・不動坊:「エー、講談のほうは昔から、値打ちがあろうがなかろうが先生でしたんですな。先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし、てな川柳がございますが」)
前席と見て侮るな、真打と見て恐れるな(ぜんせきとみてあなどるな、しんうちとみておそれるな):【意味】芸人の上手下手は位(キャリア)とは直接結びつかないことがままあるので、前座でも上手い者があり、真打でもまずい芸の者がある、ということ。話芸に触れるとき、階級のもたらす先入観に惑わされてはいけない。(落語・本能寺:「夫故昔しからの教へにも、前席と見て侮るな、真打と見て恐れるな、と申す事が御座います」=鍋草履)
前足流れんとすれば後輪にかかり、後足沈まんとすれば前足を沈め、流木蹄を払わんとなせば鞭を持って払いのけ(ぜんそくながれんとすればあとわにかかり、こうそくしずまんとすればぜんそくをしずめ、りゅうぼくひづめをはらわんとなせばむちをもってはらいのけ):【意味】鎌倉の執権北条時頼の命(実は青砥藤綱による一種の演習であった)により、緊急招集された佐野源左衛門常世が、利根川を自分の痩せ馬を駆って渡る場面の形容。馬の前脚が沈めば後ろへ寄りかかり、逆に後脚が沈めば前に体重をかけた、という、このややいかがわしく詭弁的なところが講釈の味である。「加賀騒動」の吉徳公暗殺の場面にも類似の表現あり。(講談・鉢の木、加賀騒動:「後脚流れんとする時は前輪に乗り掛けて、手綱を操り、人は馬を助け馬は人を助け」)
仙台に殿なし、加賀に家老なし(せんだいにとのなし、かがにかろうなし):【意味】伊達家には四十八館といって有能な家臣が揃っていて、殿様の行う政を待たずしても治まる。一方、加賀には名君があるから、家老がいなくても無事治まる、の意(加賀でなく会津、というバージョンもある)。(講談・水戸黄門:「又俗に下様の者が、仙臺に殿なし、加賀に家老なしといふ事を申すが」)
栴檀は双葉より芳し(く、頻迦鳥は卵=かいこ=の内より其の声諸鳥に勝る)(せんだんはふたばよりかんばしく、びんがちょうはかいこのうちよりそのこえしょちょうにまさる):【意味】栴檀とはビャクダンの木のこと。双葉のうちから良い香りを発する。迦陵頻伽(かりょうびんが:仏教で雪山や極楽にいるといわれる鳥。鳴き声が美しい)は卵の中にいるときからすでに他の鳥よりも美しい声を出す。優れた力量の持ち主は、幼い頃から早くも才気を表わすものだ、という例え。「弦歌鳥は~」「鸞鳳は~」ともいう。(講談・荒木又右衛門、一休禅師、両越大評定、太閤記、柳生三代、山中鹿之助、赤穂四十七士伝、安中草三郎、百猫伝、落語・子ほめ、雛鍔、年ほめ:「栴檀は稚葉より香しく、蛇は寸にして其気を呑む、私も早く此様な御子様にあやかりたいと云ふんだ」=子ほめ、乳房榎)(類義)→蛇は寸にして其の気を顕す《い》
銭湯で上野の花の噂かな(せんとうでうえののはなのうわさかな):【意味】よく耳にするため、古くからある句かと思うと、意外に新しいもので、正岡子規(一八六七~一九○二)が作った。(落語・長屋の花見:「銭湯で上野の花の噂かな……ま、花見時はどこへ行きましても花の噂でもちきりで」)
銭湯で裸同士の御慶かな(せんとうではだかどうしのぎょけいかな):【意味】「御慶」は年賀の挨拶のこと。本来フォーマルなものだが、それを銭湯で、裸の者同士がするところが面白いのである。(落語・御慶:「『銭湯で裸同士の御慶かな』なんて句があるがなァ、御慶というのはどうだい」)
善なる時は君を称し、過ちあらば己を称す(ぜんなるときはきみをしょうし、あやまちあらばおのれをしょうす):【意味】「礼記」より。臣下というものの心得を説いたもので、家に良いことがあれば、対外的にそれは主君の徳によるものであるとし、もし何か不都合が起きた場合は、その責めを臣下が負うべきである、ということ。(講談・伊達誠忠録:「善なる時は君を稱し、過ちあらば己れを稱す、之は禮記にある言葉ぢや」)
千日に刈った萱(一時に亡ぼす)(せんにちにかったかや):【意味】千日かかって刈った萱を、わずかの時間で焼き尽くすように、長い間苦心して築き上げたものを、一瞬にしてだめにしてしまうこと。(講談・両越大評定:「萬一御親類方始め大公儀へ御不行跡と申上ぐる者あらば、千日に刈つた萱の比喩、是までの御苦心も水の泡と相成りまする」)
善人があるので亀がむごくされ(ぜんにんがあるのでかめがむごくされ):【意味】両国橋のたもとに「放し亀」というのを売っていた。この亀を買って川へ放してやると功徳になるのだが、値段の高い亀というのは安い亀に比べてなかなか買われず、むごくも放されないのでその怨みがつのってしまう、という情景を描く川柳。(落語・佃祭:「善人があるので亀がむごくされ……てえ川柳がございますが、なるほど放してもらった八文の亀の方はよろこぶんです」)
善(事)は急げ(、悪は延せ)(ぜんはいそげ、あくはのばせ):【意味】良いことをするのにぐずぐずするな、という教訓。「悪は延べよ」(悪事は遅く行え)と続く。ただし、講談では悪玉が悪事をさくさく進める時に必ずこう言い、講談師が決まって「どこが善なものか」と突っ込むのが通例。(講談・清水次郎長、伊賀の水月、小野寺十内、山中鹿之助、赤穂四十七士伝、安中草三郎、新吉原百人斬り、関東七人男、小間物屋四郎兵衛、夕立勘五郎、落語・臆病源兵衛、たらちね:「うん明日が悪くつて明後日がよくないと、弱つたなア善は急げ、早い方がいいんだが」、万金丹、備前徳利、辻駕籠、腕食い、湯屋番、出来心、皿屋、牡丹燈籠、乳房榎)
千本の石塔を磨くと忍術が行へる(せんぼんのせきとうをみがくとにんじゅつがおこなえる):【意味】多くの(自分とは縁のない)墓を手入れすると、超常的な能力が授かるという俗信。(落語・真景累ヶ淵:「昔から譬へにも、千本の石塔を磨くと忍術が行へるとも云ふから、其様な事も有るまいが功徳になるから參詣なさい」)(参照)→無縁様の墓磨けば幻術が使へる
千松(せんまつ):【意味】歌舞伎「伽羅先代萩」の登場人物(乳母政岡の倅)。「腹が減ってもひもじゅうない」というセリフがあり、ここから空腹のことを「千松」という。(落語・鰻の幇間:「大将ねェ、あたくしゃァねェ空腹の気味なんで、へえ。ばかな千松なんで、へえ」、妾馬)
千三(せんみつ):【意味】千に三つしか本当のことを言わないほら吹き。「百三」ということもある。(落語・嘘つき村:「うゥん。千三ッてんだあ……うゥん、嘘の俺ァ名人だ」、宮戸川、うそつき弥次郎)
前門に虎を防げば後門に狼あり(ぜんもんにとらをふせげばこうもんにおおかみあり):【意味】「前門の虎・後門の狼」、「前虎後狼」。表門から侵入しようとする虎を防ごうとしていると、裏門から狼が入ってくる、ということ。一難去ってまた一難。(講談・おこよ源三郎:「前門に虎を防げば後門に狼ありとか」)
千里の外に兵を送る時は人数一万人に対し一日千金の費消あり(せんりのとにへいをおくるときはにんずういちまんにんにたいしいちじつせんきんのついえあり):【意味】孫子によるという。軍隊の遠征には大変な費用がかかるので、武将はそのために領国の人民を苦しめることになる、ということ。(講談・難波戦記冬合戦:「既に孫子の言葉にもある通り、千里の外(と)に兵を送る時は、人数一萬人に対し一日千金の費消(つひえ)ありと申す」)
千里の道を行くにも一歩から(せんりのみちをゆくにもいっぽから):【意味】「老子」より。遠い旅路もまず最初の一歩から始まる。大きな事業もまず最初は簡単で卑近な行いからスタートする、ということ。(講談・忠僕直助:「千里の道を行くにも一歩から、何になっても最初から楽のできるものはない。よいか、わかったか」)
千両の鷹も切って放してみなければ分からない(せんりょうのたかもきってはなしてみなければわからない):【意味】値段が千両もする鷹でも、実際に鷹狩りに使わなければ、有能か無能かは判断できない、ということ。高価なもの、前評判の高い人物も実際に有用かどうかは使ってみるまで分からない、という例え。(講談・夕立勘五郎:「千両の鷹も切つて放して見なけりやア分らねえが、マア然んな事を怖がつた日にやア仕様がねえ」)(参照)→山寺の鐘は千町万町響くといえど、撞木を当てなければ音が出ない
千両の花火寝て見る乞食かな(せんりょうのはなびねてみるこじきかな):【意味】価千両の華麗な花火を地べたに横になって呑気に見物できるのだから、乞食というのも優雅な身分ではないか、馬鹿にしたもんじゃないぞという意味の川柳。(講談・三家三勇士:「千両の花火寝て見る乞食かな、などといってね、ヘエ、乞食だって馬鹿には出来ませぬ」)(類義)→欠け椀も元は吉野の桜かな、大名も乞食も同じ花見かな
千両八百十三年(せんりょうはっぴゃくじゅうさんねん):【意味】千両もの大金も、毎日八百文ずつ使えば、十三年で尽きてしまう。浪費を戒めた諺。(落語・御慶:「馬鹿なことを言うなよ。『千両…八百…十三年』。なァ、八百文(はっぴゃく)ずつ使ったって十三年経ちゃァなくなっちまう」)
千慮の一失(せんりょのいっしつ):【意味】「史記」より。いかなる知者でも、いろいろと考え、判断しているうちには、一つぐらいの誤りはあるもの、ということ。(講談・梁川庄八、朝顔日記:「勝れた御氣性が妨げをして、一時非常に御亂行をなされました。つまり千慮の一失とも云ふべきものです」、岩見重太郎)
善を成せば善の報いあり、悪事を企むものは悪報あり(ぜんをなせばぜんのむくいあり、あくじをなすものはあくほうあり):【意味】善悪ともに因果応報であるということ。(講談・山中鹿之助:「アツハゝゝゝ、眞や善をなせば善の報いあり、悪を企むものは悪報ありとの事だ」)(参照)→積善の家には必ず余慶あり
編:松井高志・2004-
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