[な]で始まる語句・ことわざ
ないが意見の総仕舞い(ないがいけんのそうじまい):【意味】道楽者に対して、遊興費の元を断ってしまえば(涸らしてしまえば)、もはや遊びようがない(よそから借りるしか遊びようがない)から固くなるしかないであろう、という周囲の者の「最後の意見」のありかたをいう。落語で道楽が過ぎ、もはや見放されかけた若旦那の勘当シーンに頻出する言い回し。(講談・新吉原百人斬り、落語・火事息子:「『ないが意見の総仕舞』、これで堅くなるかと思ってたら道楽をおぼえて、うちを跳び出したが」、唐茄子屋、山崎屋)
無い子(供)には泣きを見ない(しない)(ないこにはなきをみない):【意味】子供がなければ、その子の無頼放蕩不孝などの振る舞いに親が泣かされることはないのだから、子供があるということが一概に良いとはいえない、いっそなくて良かったのだ、という諺(ただし、「子がなければ泣くことさえできない」だからそれでも子供はあえて持つべきだという意味がある場合もある)。「持たない子には苦労をしない」(落語・六尺棒)とも。(講談・安政三組盃、清水次郎長、大島屋騒動、本所五人男、落語・近日息子:「小言を言ゃァふくれッ顔ァして表へ跳び出しちめえやがって。『無い子に泣きを見ない』ッてあのことだよ」、浜野矩随、安産、安中草三、政談月の鏡)(参照)→子なくとも泣かぬ、野にも山にも産み附けて置け
内秘(ないしょ)ごとは暴(ば)れやすい(ないしょごとはばれやすい):【意味】不倫など、ひた隠しにしていることほど、なぜか露見しやすい。(講談・笹川繁蔵:「ところが、内秘ごとは暴れやすい、の譬で」)(参照)→阿漕ヶ浦に曳く網も度重なれば現れる
ない袖は振れぬ(ないそではふれぬ):【意味】現実に存在しないものは出せない(主に金銭のこと。持ってないものは払えと言われても出しようがない、ということ)。(講談・伊賀の水月、大岡政談村井長庵、落語・突き落し:「できるもできねえもねえじゃねえかおい、ない袖は振れないッてやつだよ」、掛取万歳、真景累ヶ淵)
長い浮世に短い命(ながいうきよにみじかいいのち):【意味】人世は長いが、人の命は短いものだという半ば居直りのような境地をいう言葉。(講談・笹野名槍伝、両越大評定、天保六花撰、富蔵藤十郎、落語・蒟蒻問答、真景累ヶ淵:「是から一緒に逃去つて、永え浮世に短けえ命、己と一緒に賊を働き、榮耀榮華の仕放題」、安中草三、政談月の鏡)
長生きすると人は三代交際える(ながいきするとひとはさんだいつきあえる):【意味】長生きをすると、親・子・孫の三代にわたって人と深い交際ができる、よって長生きはするものだという諺。(講談・夕立勘五郎:「長生をすると人は三代交際へるといふが、本當な話しだな」)
長生すれば恥多し(ながいきすればはじおおし):【意味】「荘子」にある逸話から。長生きをすると恥をさらすことが多い。こんな恥をかくくらいならいっそ早死にすべきだった、という嘆き。(講談・大石内蔵助、天一坊、三家三勇士、祐天吉松、南部坂雪の別れ:「長生きすれば恥多し、情けないことを聞きました。兄も甥も見下げはてたる人非人」)(参照)→長寿をすれば恥多し
長い正月のある奴じゃない(ながいしょうがつのあるやつじゃない):【意味】侠客物などでは、恨まれたり、不行跡を重ねたりして追われたりしているから、とてもこの先、長生きする奴ではない、ということ。一般的には、「自分ばかり不当にいい目を長く見られるはずはない」ということ。(講談・安政三組盃:「この鈴木藤吉郎という奴は、長い正月のある奴じゃァねえ、今のうちだ、伯父甥の縁を切っちまえ」、妲妃のお百、富蔵藤十郎、落語・子別れ)
長い短いは言わない(ながいみじかいはいわない):【意味】四の五の、かれこれ、くどくど言わないということ。(落語・幽霊稼ぎ:「長い短いはいわないから金を二十両出したら浮ぶ」)
長い物には巻かれろ(、太い物には飲まれろ)(ながいものにはまかれろ、ふといものにはのまれろ):【意味】目上の人や権力者の言うことにはたてつかずに、従順にしておく方が無難である、という教え。(講談・梁川庄八、安政三組盃、笹川繁蔵、祐天吉松、寛永御前試合、忠僕直助、西郷南洲、加賀騒動、落語・大工調べ、初音の鼓、子別れ、三軒長屋:「長えものには巻かれろだから、温和しく、階下でお燗番でもしてな」)
ながき夜の遠のねぶりのみな目さめ波のり舟の音のよきかな(ながきよのとおのねぶりのみなめさめなみのりぶねのおとのよきかな):【意味】回文、つまり前から読んでも後ろから読んでも同じ文句の好例として引き合いに出される和歌。七福神の絵とともに枕の下に敷いて寝るといい初夢が見られるという俗信がある。(落語・一ト目上り、かつぎや:「『長き夜のとおのねふりのみなめさめ浪のり舟の音のよきかな』という上から読んでも下から読んでも同じ歌と七福神の絵を枕の下に敷いて寝ると、よい初夢が見られるという」、旅行の鶴)
長崎から強飯(ながさきからこわめし):【意味】長く続く(好ましくない)物事の例え。(落語・世界一周、長崎の赤飯:「そんなことが出来るんならな、長崎から赤飯が来て、天竺から古褌が来るよ」)
仲直りの席に長居する者はない(なかなおりのせきにながいするものはいない):【意味】もめていた二つの勢力が手打ちをするとして、その和解の席(表向き和解しても雰囲気が気まずい)にいつまでも気持ちよく居残る者などはいない、という意味。(講談・笹川繁蔵:「仲直りの席に永居をする者はいません」)
長屋中歯をくいしばる花見かな(ながやじゅうはをくいしばるはなみかな):【意味】「長屋の花見」に出てくる迷句。家主に誘われて貧乏長屋の店子たちが揃って花見に行くが、酒も料理も代用品ばかり。よその連中のごちそうがうらやましくて仕方がない。長屋一同、花の下で歯を食いしばって耐えるのである。(落語・長屋の花見:「『長屋中……』頭へ長屋中を入れたのはうれしいな、『歯をくいしばる花見かな』」)
泣きっ面に蜂(なきっつらにはち):【意味】「泣きっ面を蜂が刺す」の略。苦痛の上に、別の苦痛が加わることをいう。不幸の上に不幸が重なることの例え。(講談・藤原銀次郎、落語・算段の平兵衛、帯久:「も、悪なると何もかもが悪なりますなあ。弱り目に祟り目、泣き面に蜂、貧すりゃ鈍する」、怪談市川堤)(参照)→弱り目にたたり目、貧すれば鈍する、藁打ちゃ手を打つ《い》
泣く門口は憂いを催す(なくかどぐちはうれいをもよおす):【意味】「笑う門には福来たる」の反対表現。湿っぽい家には良いことが起こらない。(落語・茗荷屋:「総て泣く門口は憂を催すと云ふから愚痴を滴して貧乏神に取附れると云ふから然う苦よ苦よ仕なさんなよ」)
(主命黙し難し、)泣く児と地頭にはかなわない(勝たれない)(なくことじとうにはかなわない):【意味】泣く小児と権力者の言う無理は、そのままこちらが折れる(言いなりになる)以外に方法がない、という諺。(講談・梁川庄八、伊賀の水月、笹野名槍伝、天保六花撰、塚原ト伝、笹川繁蔵、越後伝吉、西郷南洲、安中草三郎、落語・そばの殿さま、団子兵衛、乳房榎:「じつに困っただよ、泣子と地頭にゃ勝たれねえとって、当惑しただが、お内儀さんどうかして、たった一杯乳い呑ませる工夫がつくまいか」)(参照)→主親は無理をいうもの、泣く子と地頭には叶わぬ《い》
なくて七癖、あって四十八癖(なくてななくせ、あってしじゅうはちくせ):【意味】どんな人でも七つぐらいは癖を持っているものだ。「あって四十八癖」は強調表現で、特に根拠はない。(講談・清水次郎長:「昔からよくいうことだが、人間というものは無くて七癖、あって四十八癖といって、、何かしら癖のあるものだから」、難波戦記、落語・小言幸兵衛)
仲人は宵の口(なこうどはよいのくち):【意味】「宵の内」ともいう。仲人の役割は、三三九度の盃までなのだから、長居(邪魔)をせず、気を利かせて宵のうちに引き上げるべきである。新婚夫婦を二人だけにしてやった方がいい、ということ。(講談・乃木将軍、木曾富五郎、落語・たらちね:「ササお杯がすんだら媒妁人は宵の口、おれはすぐとお開きにするよ」、延陽伯、腕食い、不動坊火焔)
情けに脆きは勇士の常(なさけにもろきはゆうしのつね):【意味】鬼をもとりひしぐような豪傑ほど、意外に涙もろく、人情家であるというセオリーをのべた言葉。(講談・猿飛佐助:「情けに脆きは勇士の常、『フム、聞いてみれば憫れな話だ』」)
情けは情け、仇は仇(なさけはなさけ、あだはあだ):【意味】武士は傷ついた敵に一時の情けをかけることもある。つまり武士の情けであるが、それと闘争心とは別物であるから、一旦踏ん切りがついたら、互いに非情に徹するべきであるということ。(講談・太閤記、落語・江戸見物:「ハゝ………辱けねえが去りながら、情けは情け仇は仇」=よいよい蕎麦)
情けは人のためならず(廻り廻って我身に及ぶ、めぐりめぐりて己が身のため、みんな我が身に報うものなり)(なさけはひとのためならず、めぐりめぐってわがみにおよぶ、めぐりめぐりておのがみのため:みんなわがみにむくうものなり):【意味】他人に同情して労りの心をもって接していれば、その善行はいずれ自分の身に報いとなって返ってくるものだ、という諺。人情を表看板にする話芸になくてはならないきまり文句。(講談・水戸黄門、荒木又右衛門、出世の富籤、徂徠豆腐、三方目出鯛:「情けは人のためならず人情味温かな間違話し、三人目出度く納まつたのも一尾の鯛の贈物から」、正直車夫、笹川繁蔵、夕立勘五郎、越後伝吉、赤穂四十七士伝、安中草三郎、落語・佃祭、お玉牛)(参照)→思へば思はるる、人を思ふは身を思ふ
梨の芯で歯を磨くと歯がきれいになる(なしのしんではをみがくとはがきれいになる):【意味】俗信。江戸時代の人は戸隠山(神社)=虫歯の神様に願をかけ、梨を川に投げ入れると虫歯が治るというおまじないを行っていた。修験者が広めたもの。ただし梨の芯で歯を磨くと酸味のせいで歯がきれいになるのは事実らしい。(落語・佃祭:「梨の芯で歯を磨くと歯がきれいになります」)
名正しからざれば戦い勝ちがたし(なただしからざればたたかいかちがたし):【意味】戦には正当な大義名分が必要である。不正不義不忠の者はいかに戦力があろうとも戦いには勝てない、ということ。(講談・猿飛佐助:「名正しからざれば戦い勝ち難しとは兵法のいうところ」)
夏痩せと答えて後は涙かな(なつやせとこたえてあとはなみだかな):【意味】恋煩いでやつれてしまった娘がわけを問われて答えかね、「夏やせです」と言ったきり後は泣いてしまうばかり、という切なげな状況を描く俳句。北村季吟によるという。(落語・崇徳院:「病でも色気のある病があります。 夏痩せと答えて後は涙かな……なんてえと風情がありますな」)
七重の膝を八重に折って(ななえのひざをやえにおって):【意味】折り入って頼むこと。無理を承知で、ひたすら頭を下げて頼み込む様子をいう。(講談・笹野名槍伝、三家三勇士、落・皿屋:「先刻変な事をいやアがつたな、七重の膝を八重に折るといやアがつた」、嵩谷)
七転び八起き(ななころびやおき):【意味】人間、一生のうちに何度も浮沈(失敗し落ち込んでは立ち直ること)を繰り返す。悪いことばかりは続かず、逆に良いことばかりも続かない。くじけてはいけないし、慢心してもいけない、という教え。(落語・三味線栗毛:「なァ、人てえやつァ七転び八起きてえことがある。な? しっかりしろよ」、茗荷屋、お目見え)(参照)→人間は七転び八起き、人間浮き沈み七度、世の中は回り持ち
七度たずねて人を疑え(ななたびたずねてひとをうたがえ):【意味】物がなくなったら何度も何度も探してみることだ。簡単に人が盗ったのではないかと疑いをかけるものではない、という教訓。「三度」のバージョンもある。(講談・猿飛佐助、水戸黄門、天保六花撰、落語・牡丹燈籠:「たとえにも七たび捜して人を疑ぐれというとおり、紛失した百両の金子が出たよ」、正直清兵衛=もう半分)(参照)→三度たずねて人を疑え
七つ下がりの雨と四十過ぎての道楽はやまない(ななつさがりのあめとしじゅうすぎてのどうらくはやまない):【意味】七つ下がりとはおよそ今でいう午後四時過ぎ頃。この時刻あたりに降り出した雨は大抵翌日まで続く。また、中年以降はまった道楽は深入りするのでなかなか止まない、ということをいう諺。(落語・子別れ:「ま、譬に“七刻さがりに降りだした雨と四十過ぎての道楽を始めたのはやまない”といいますが」、悋気の火の玉)(参照)→八つ前の雨は降っているかと思うとすぐ上がる
七所借(ななとこがり):【意味】「七所拵(ごしらえ)」「七所算段」ともいう。あちこちから金を借りて回ること。これを上回る非常の金策が「八所算段」(やっとこさんだん)。(講談・水戸黄門、新門辰五郎、安中草三郎、薮原検校、落語・文違い:「足りない所は七所借をしても何うか都合をして、阿母さんを助けたいんだが」)
何ごとぞ花見る人の長刀(なにごとぞはなみるひとのなががたな):【意味】花見に長い刀をさして来たり、酔って喧嘩沙汰となり、無粋にも抜刀する(すぐに酔って腕力に訴える)乱暴者(花を見て武威を振るいたい気分になってしまった侍)をたしなめる意味がこもっている句(風雅に武張った恰好はそぐわない)。向井去来(1651~1704)の作であるという。(講談・祐天吉松、春風臆病問答、落語・花見の仇討:「お武家なればお花が武威が余計見えます。 何事ぞ花見る人の長刀とか申しました」)
何事も皆偽りの世の中に死ぬるばかりは誠なりけり(子を思うばかりは誠なりけり)(なにごともみないつわりのよのなかにしぬるばかりはまことなりけり):【意味】偽り飾ることの多いこの世であるが、人が死ぬということは間違いのない真実である。(講談・天一坊、夕立勘五郎:「何に事も皆偽はりの世の中に、子を思ふばかりは誠なりけり アゝ宜いとも承知した」)(参照)→かくばかり偽り多き世の中に子のかわいさは誠なりけり
何をするにも先達(なにをするにもせんだつ):【意味】「少しのことにも先達はあらまほしきものなり」(徒然草)を想起させる言い回し。何をするときでも、手ほどきをする人、案内者、先導者というものは必須である、ありがたいものだということ。(落語・百人坊主:「何をするにも先達ということがありますがな」)
名主といえば親、小前といえば子(なぬしといえばおや、こまえといえばこ):【意味】庄屋といえば親、その村の百姓といえば子も同じ事だという諺。(講談・水戸黄門、落語・塩原多助一代記:「殊に小前といへば子のやうに思つて居る所から」)(参照)→大家といえば親も同然、店子といえば子も同然
名はその人の体を表す(なはそのひとのたいをあらわす):【意味】あるものの名前と実体は、本来無関係なはずなのだが、不思議に名前はそのものの実体を反映していることがある、という諺。(講談・田宮坊太郎、夕立勘五郎、落語・棒鱈:「名はその仁の体をあらわすとか申すが、もぐらのような顔をしておったで、もぐらかと思いよった」)
なまじなまなか(なまじなまなか):【意味】「なまじ」も「なまなか」も「中途半端」であること。(講談・寛政力士伝、落語・蔵前駕籠:「なまじなまなか腕だてをいたすと為ンならん、これへ出なさい」、本膳)
生兵法は大けがのもと(なまびょうほうはおおけがのもと):【意味】少しばかりある道について心得があると、これを頼みに思って軽率にその道へ深く踏み込むようになるので、かえって大きな失敗をおかす原因になるから注意しなければならない、ということ。(講談・伊賀の水月、宮本武蔵、寛永御前試合、慶安太平記、関東七人男、落語・阿弥陀池、刀屋:「引ッたくられて引ッ殴かれて瘤ができりゃァそれでおしまいだ、<生兵法大怪我のもと>ということがある」、無学者=木火土金水)
生酔い本性違わず(なまよいほんしょうたがわず):【意味】日頃酒をたしなむ人は、中途半端に酒を飲んで酔っていても、本来の気性や考え方を失わない(かえって本音が出てくる)。(講談・仏の作蔵、笹川繁蔵、岩見重太郎、慶安太平記、落語・棒鱈、にせ金、居酒屋:「『生酔い本性たがわず』と申しますが、これは往来なぞでよく拝見いたします」、双蝶々・上、乳房榎、かはりめ、市助酒、牡丹燈籠他)
訛りは国の手形(なまりはくにのてがた):【意味】話し言葉の訛りで出身地が分かる、ということ。(参照)→言葉は国の手形に同じ。(落語・テレスコ:「処ちょうたん国なまり、訛は国の手形と申します」)
波風多きが浮世の常(なみかぜおおきがうきよのつね):【意味】世を渡るということには浮き沈みがつきものである、という教訓。(講談・両越大評定:「此の儘無事に經過すれば結構でしたが、波風多きが浮世の常」)
並木の松の肥やしになる(なみきのまつのこやしになる):【意味】旅の空で食えなくなって死ぬこと、行き倒れになることを比喩的に表現した言い方。(講談・水戸黄門、徂徠豆腐、関東七人男、落語・蒟蒻問答:「親分がいなけれァ、私は本当に並木のこやしだがねェ……」)
名も要らず命も要らず金も要らぬ者程世の中で始末にならぬ者はない(なもいらずいのちもいらずかねもいらぬものほどよのなかでしまつにならぬものはない):【意味】西郷隆盛が口にした? という金言。無私無欲の人物は、敵に回すと恐ろしいのである。(講談・大久保彦左衛門:「西郷南洲先生のお言葉に『名も要らず、命も要らず、金も要らない者程、世の中に始末にならぬものは無い』とありますが、彦左衛門も正に其始末にならない者で御座います」)
習うより慣れろ(ならうよりなれろ):【意味】なまじな机上の学問に時間を費やすよりも、ともかく現実にぶつかって体験的に学んだ方が効果的である、ということ。(講談・矢田五郎右衛門、幡随院長兵衛、三家三勇士、慶安太平記、重の井子別れ、薮原検校、落語・品川心中、船徳、たらちね:「驚いたなこれやア、併しマアお互に習うより慣ろだ、毎日やつてる中にやアどうにかなるだろう」)
習わずして其道に達するを上とし、習って其道に達するは中、習って其道に達せざるは下とする(ならわずしてそのみちにたっするをじょうとし、ならってそもみちにたっするはちゅう、ならってそのみちにたっせざるはげとする):【意味】芸道・武道で、師について習わなくても自然にその道を極められる人が最上級、習って上達する人は中くらい、習ってもものにならない人はまったくだめである。類似表現が「論語」にある。(講談・宮本武蔵:「併し天地の間は宏大なもの、習はずして其道に達するを上とし、習うて其道に會得するは中、習うて其道に通ぜざるは下と致します」)
名を上げ父母をあらわすは孝の一番大なるもの(なをあげふぼをあらわすはこうのいちばんだいなるもの):【意味】身を立て名を上げて、自分を生んだ両親や先祖の名誉を世に示すのが、あらゆる孝行のうちもっとも尊いものである、という教え。「父母からもらった身体髪膚を毀傷しない」ことが孝のスタートで、これがゴールである。(講談・岩見重太郎:「名を上げ父母をあらわすは、孝の一番大きなものじゃ」)
名を取るより利得(とく)を取れ(なをとるよりとくをとれ):【意味】実利のない名誉などは空しいので、そんなものよりももっと実利そのものを追及すべきである、という教訓。(講談・小山田庄左衛門:「名を取るより利得(とく)を取れのことわざもあり、今さら後悔したところで、死んだ子の年をかぞえるようなものじゃ」)
(思い寝の)南柯の一夢(なんかのいちむ):【意味】ある人物が塊(えんじゅ)の木の下で眠り、夢の中で二十年間に南柯郡という土地を治めるまでに大出世を遂げたが、目覚めるとそれは木の根元の蟻の穴の出来事に過ぎなかったという中国の故事にちなむ。はかない夢のこと。(講談・伊賀の水月、赤穂義士本伝、宮本武蔵、左甚五郎、菅源助、落語・片袖:「かつ、両親への証拠にと、己が着ている着物の片袖をもぎとり、わが手に渡せしと思いしが、南柯の夢……」)
何のその岩をも徹す桑の弓(なんのそのいわをもとおすくわのゆみ):【意味】その気になって一心に努力すれば、人間に不可能はないという意味をこめた道句。(講談・祐天上人:「何のその岩をも通す桑の弓、人間は迷はず惑はず疑はず、一つの目的に精進致しますれば、必ず本望が遂げられるといふ」)(参照)→虎と見て石に立つ矢のためしあり、雨滴が石をうがつ、精神一到何事かならざらん
何の仲でも銭金は他人(なんのなかでもぜんきん:ぜにかね:はたにん):【意味】こと金銭問題については、親子・夫婦といえども他人のようにシビアなものなのである、という諺。(落語・文違い:「いや、たとい何の中でも銭金(ぜにかね)は他人てェことがある」、文七元結、狸の釜)(参照)→銭金は夫婦でも他人
何の仲でも礼儀あり(なんのなかでもれいぎあり):【意味】→親しき仲にも礼儀ありを見よ。(落語・馬のす:「友達だよ。友達だけどもね、なんの仲にも礼儀あり」)
南風競わず(なんぷうきそわず):【意味】南の方にある国の勢力が振るわないこと。「春秋左氏伝」より。日本では主に南北朝時代に南朝が衰微したことの比喩。(講談・木村長門守:「嗚呼南風競はず、大阪城は終に落去致しましたが、木村長門守の冑の名香は、昭和の今に薫を殘しまする」)
南部の鮭の鼻曲り(なんぶのさけのはなまがり):【意味】南部(岩手県盛岡周縁)の人がへそ曲がりであることを、産卵期の鮭の鼻が曲がることになぞらえた言葉。(落語・京見物:「『内宮外宮の神々よ、伊勢大神宮、南部の鮭の鼻曲り』そんなことはいいませんが」、樟脳玉)
編:松井高志・2004-
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