[に]で始まる語句・ことわざ
新潟は後家と南瓜と弥彦山、小千谷縮に牛蒡三条(にいがたはごけとかぼちゃとやひこやま、おぢやちぢみにごぼうさんじょう):【意味】越後名物を歌に詠み込んだもの。(講談・水戸黄門)(参照)→儒者太宰相撲雷電武士真田蕎麦に月見に一茶弥陀仏、水壬生菜女染め物針扇お寺豆腐に鰻松茸、大仏に鹿の巻筆奈良晒、春日燈籠町の早起き、舟と橋、お城惣嫁に酒蕪、石屋揚屋に問屋植木屋、武士鰹大名小路生鰯茶屋紫に火消錦絵、火事に喧嘩に中っ腹
二一添(天)作(にいちてんさく):【意味】「~転作」とも。算盤で計算(勘定)すること。(講談・赤穂四十七士伝、玉菊燈籠、落語・大工調べ)
二階へやっかいで十階の身の上(にかいへやっかいでじゅっかいのみのうえ):【意味】居候の境遇を洒落た文句。(落語・立波他多数)
憎い鷹には餌(にくいたかにはえさ):【意味】憎いと思う相手には、あからさまに対立するよりも、かえってこちらから餌を与えて手なずける方が得策であるということ。(講談・赤穂義士本伝、安中草三郎、本所五人男)(参照)→尾を振る犬は叩かれぬ
憎まれっ子世にはばかる(にくまれっこよにはばかる):【意味】人から憎まれるような者こそ、世間で幅を利かせるものだという諺。「~はびこる」という場合もある(この方が分かりやすい)。(落語・たがや)《い》
憎むとも憎み返すな何時までも憎み憎まれ果しなければ(にくむともにくみかえすないつまでもにくみにくまれはてしなければ):【意味】憎悪に憎悪をもって応酬しても、怨念がつながるばかりで延々と果てしがないから、どこかで思い切って恨みを捨て、憎しみを断たなければいけない、という教え。(講談・田宮坊太郎)(参照)→復仇は天下の法度
二朱おじぎ、一分お世辞に二分叩き(にしゅおじぎ、いちぶおせじににぶたたき):【意味】茶屋で払う茶代によって、女の客に対する扱いが違ってくるということ。「叩き」は肩を叩くことをいう。(講談・寛永三馬術)
二束三文(にそくさんもん):【意味】江戸初期、金剛草履(丈夫な草履)の値段が二束で三文だったことに由来する。ただし、三遊亭圓朝「塩原多助」には、「下駄の鼻緒なども昔は二足三文でございました。それからこちらへ厄雑(やくざ)なものを二足三文と申す事だそうです」(岩波文庫版)とある。数が多くて値段が安いもののこと。物の捨て売り状態をいう。(落語・宿屋の富、塩原多助一代記)
似たもの夫婦(にたものふうふ):【意味】仲の良い夫婦は性格や趣味が似通ってくる(似ている夫婦は円満である)ということ。(講談・名刀捨丸、徂徠豆腐)《い》
日光を見ぬうちは結構というな(にっこうをみぬうちはけっこうというな):【意味】「にっこう」と「けっこう」の語呂合わせを含む、日光(東照宮)という土地を讃える言い回し。「ナポリを見て死ね」と同義、と「広辞苑」にあるのだが、うーむそうかなぁ。(講談・左甚五郎)
ニッコリ笑って人を斬る(にっこりわらってひとをきる):【意味】博徒・国定忠治の物凄い度胸と不敵な性格を表現した文句。人を斬るときには瞬きをせず、ニッコリ笑ったという。(講談・国定忠治)
二八月は暴れ月(にはちがつはあれづき):【意味】旧暦の二月・八月は嵐が起こりやすい、という天気の諺。「にっぱちがつはあれづき」とも読む。(講談・夕立勘五郎、妲妃のお百、扇の的)
二分旦那一分貴所に二朱お前一朱左様なら二百だんまり(にぶだんないちぶあなたににしゅおまえいっしゅさよならにひゃくだんまり):【意味】吉原の茶屋でお茶代をいくら出すかで、露骨に客あしらいが違うということをいう狂歌。(講談・玉菊燈籠)
日本国中赤の他人ってのは一人もいねえ、困ってる人がいれば助け合うのが世の中ってもんだ(にほんこくじゅうあかのたにんってのはひとりもいねえ、こまってるひとがいればたすけあうのがよのなかってもんだ):【意味】諺ではなく一種の「名セリフ」。雪の夜、内藤新宿へ遊びに出た職人が、辻占売りの姉弟に出会い、同情して辻占を買ってやるとき、礼を述べられて照れ隠し半分に吐く言葉である。(講談・雪の夜話)
二本棒(にほんぼう):【意味】鼻の下が長い。女に甘い男、男に鈍い女のこと。または、鼻たらし、馬鹿、阿呆のこと。(落語・権助提灯、子別れ、素人占い)
乳虎の怒り(にゅうこのいかり):【意味】子に乳を与える時の牝虎はもっとも凶暴であるという。子供を思う親の一途な心をいう。(落語・表札)
女房と畳は新しいのに限る(にょうぼうとたたみはあたらしいのにかぎる):【意味】妻は若ければ若いに越したことはなく、畳も新しいものの方が気分がよい、という諺。「芝浜」では「古い方がいい」。(落語・子別れ、芝浜、橋場の雪=夢の瀬川、薬違い)
女房妬くほど亭主もてもせず(にょうぼうやくほどていしゅもてもせず):【意味】亭主が遊ぶとすぐに女房は妬くが、亭主は彼女が想像するほど遊里でもてているわけではない。むしろ振られているくちであることが多い、という意味。元は川柳。(講談・清水次郎長、落語・五人廻し、小いな)
女房を質においても(にょうぼうをしちにおいても):【意味】「なにがなんでも~する(たとえば何かを見物する)」という極端な例え。(講談・清水次郎長、慶安太平記)(参照)→朝酒は女房を質に置いても飲む
睨むとひらめになる(にらむとひらめになる):【意味】親や目上を、上目遣いに敵意をこめて睨んでいる女性や子供を叱る時に言う言葉。そんなツラをしていると「白眼になる」(落・明烏に用例あり)→片方に両目が寄って来世はヒラメになるぞ、ということ。(講談・勤王芸者)
庭に水、新し畳、伊予簾、透綾縮に色白の美女(にわにみず、あたらしだたみ、いよすだれ、すきやちぢみにいろじろのたぼ):【意味】「いかにも涼しげなもの」づくし。蜀山人の作。(落語・菊江仏壇、狂歌家主)
人間(じんかん?)到る処青山墳墓の地はある(にんげん・じんかんいたるところせいざんふんぼのちはある):【意味】故郷ばかりが骨を埋める場所とは限らない。人間の働く場所はどこにでもあるのだから、望みを果たすために故郷を離れてどんどんよその土地で可能性を追求すべきである、という意味の詩の一節。(講談・梁川庄八)(参照)→世に出ずばまたとは越さじ国の山
人間一代、物になろうというには情けないことも口惜しいこともある。その峠を通り越して男になるんだ(にんげんいちだい、ものになろうというにはなさけないこともくやしいこともある。そのとうげをとおりこしておとこになるんだ):【意味】これは諺や成句ではなく一種の「名セリフ」として選出。赤穂藩士岡島八十右衛門の下僕・直助は、主人が家老の大野九郎兵衛に持っていた刀を辱められたのを聞いて出奔し、一念発起して刀鍛冶となる。その修行のさなか、師の津田越前守助広が修行を急ぐ直助に意見するセリフに含まれる言葉である。(講談・忠僕直助)
人間上見ればきりがない、下見てもほうず(方図)がない(にんげんうえみてもきりがない、したみてもほうずがない):【意味】「ほうず」は「方図」=際限のこと。上見ても下見てもきりがない、ということ。(講談・寛永御前試合、落語・莨の火、夢金、おかめ団子、牡丹燈籠)
人間浮き沈み七度(にんげんうきしずみななたび):【意味】人間の一生には、幸運と不幸との転換期が七回存在する、という経験則。(講談・越後伝吉)(参照)→七転び八起き、世の中は回り持ち
人間往生際が大切(にんげんおうじょうぎわがたいせつ):【意味】人間はいざというとき、あきらめが肝心である。往生際のみっともない人は汚名を千載に残してしまう、という教訓。(講談・相馬大作)
人間稼ごうと思う間は子に伏し寅に起きる位でないといけない(にんげんかせごうとおもうあいだはねにふしとらにおきるくらいでないといけない):【意味】人より稼ごうと思ったら、深夜零時に寝て、午前四時に起きるくらいの生活をしなければならない。(講談・越後伝吉、塩原多助一代記)(参照)→勇士は子に伏し寅に起きる
人間苦しい思いをしなければ思うような儲けはない(にんげんくるしいおもいをしなければおもうようなもうけはない):【意味】文字通りに取れば当たり前の教訓だが、ここでは、多少法を犯すなりお上を欺くなりしなければ、商売人が儲けることなどできはしない、という意味である。(講談・佐倉宗五郎)
人間盛りの時に見切らなきゃいけません(にんげんさかりのときにみきらなきゃいけません):【意味】落ち目になる前、まだツキがあるうちに、先を見越して商売や道楽をすっぱりやめるべきだという幽霊の教訓的なセリフ。だがこれができれば世話はない。(落語・竈幽霊)
人間地獄極楽は紙一重(にんげんじごくごくらくはかみひとえ):【意味】身延参りの途中、雪中で道に迷った男が一軒のあばら屋に泊めてもらい、そこで猟師の女房となっていた元花魁・月の兎に向かって、卵酒を飲みながらこう言う。が、その酒にはしびれ薬が入っていた!(落語・鰍沢)
人間というものは雨降り風間、病みわずらいというものがある(にんげんというのはあめふりかざま、やみわずらいというものがある):【意味】人間はいつも元気で働けるわけではない。時には病気になって寝込み、働けずに稼ぎがないことだってある。それをあらかじめ考えておかなければならないし、周囲もそうした事情があれば斟酌してやらねばならない。(落語・らくだ)(参照)→雨降り風間
人間の身体は父と母が五輪五体持合って造える(にんげんのからだはちちとははがごりんごたいもちあってこしらえる):【意味】「五輪五体」は身体の異称。人間はその父母の身体が協同して生まれてくるものだという教え。(落語・寿限無)
人間はいっぺん死ねば二度とは死なねえ(にんげんはいっぺんしねばにどとはしなねえ):【意味】死ぬのは一度きり、要するにビクビクするな、度胸を決めてかかれということ。殴り込みに行く前の博徒などがよく使う言葉。(落語・お七、貧乏花見)
人間は紙だの手拭いだのを絶やすものじゃない(にんげんはかみだのてぬぐいだのをたやすものじゃない):【意味】人としてのたしなみをいう言葉。諺ではないが生活上の教訓性がこもる。着物の袖で汗を拭いたりしてはならない、ということ。(講談・幡随院長兵衛)
人間は心ほどの世を経る(、立ち寄らば大樹の蔭、犬になっても大家の犬):(にんげんはこころほどのよをへる):【意味】人間はまず大きな志を持たなければ、大きな目標には到達できない。まず気持ち・心がけ次第で自分の行く末は決まるのである、という教訓。(落語・長屋の花見、鼻きき源兵衛)
人間は土を被ってみなけりゃ運の良い悪いは云えない(にんげんはつちをかぶってみなけりゃうんのよいわるいはいえない):【意味】人間、いざ生涯を終えて埋葬される時にならなければ、その人が幸運だったか、不運だったかは判断できるものではない。(落語・子別れ:上)(参照)→人の善悪は柩を蓋うてはじめて知る、世の中の人と煙草のよしあしは煙となりて後にこそ知れ
人間は七転び八起き(にんげんはななころびやおき):【意味】(参照)→七転び八起きを見よ。(講談・寛永三馬術、鼠小僧次郎吉、相馬大作、越後伝吉、玉菊燈籠、安中草三郎、落語・掛取万歳、天神山、三百餅=狂歌家主、隅田の花見=長屋の花見)
人間は万物の霊長(にんげんはばんぶつのれいちょう):【意味】人間はこの世のあらゆる物の中で、もっとも霊妙な徳を備えているのだ、ということ。(落語・饅頭こわい)(参照)→万物の霊長たる人間が思いこんだら、その念が残らない限りはない、人は天が下の御霊
人間万事金の世の中(にんげんばんじかねのよのなか):【意味】人の世はなんだかんだいって結局は金がものをいうようにできているのだ、人の意志を左右するのは金であるという身も蓋もない教訓。(講談・長曾根虎徹、夕立勘五郎、祐天吉松、薮原検校)(参照)→世の中は金
人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま):【意味】世の中の吉凶、我が身の幸不幸というものはめまぐるしく、あらかじめ予測できない、幸不幸にいちいち喜んだり悲しんだりしていても仕方がない、ということ。「塞翁」という老人の馬が逃げて(不幸)、俊足の馬を連れて帰った(幸福)が、息子が喜んでそれに乗ると、落馬して足を折った(不幸)、ところがそのために兵役を逃れた(幸福)という、「淮南子」にある故事にちなむ。(講談・寛永三馬術、小林平八郎、祐天吉松、落語・唐茄子屋、茶わん屋敷、茗荷屋)
人間迷うのも女、悟るのも女(にんげんまようのもおんな、さとるのもおんな):【意味】(若い)男が道を誤るのは概ね女に迷うせいであり、一方で、人生に目覚めるきっかけになるのもまた女というものの存在であることが多い、ということわざ。(講談・伊賀の水月)
人間わずかに五十年(にんげんわずかにごじゅうねん):【意味】幸若舞「敦盛」の一節から。人の一生はおよそ五十年と言われていた。そこから寝たり食事したりしている時間をどんどん引くと、ほとんどなくなってしまう。(講談・妲妃のお百、落語・子別れ:上、ちきり伊勢屋)
人三化七(にんさんばけしち):【意味】容貌が醜い人を酷評して「人が三分で化け物が七分」くらいに見えるという。それを省略していったもの。(講談・寛永三馬術、落語・心眼、お玉牛、遠山政談)
編:松井高志・2004-
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