[や]で始まる語句・ことわざ
夜陰の城攻は敗軍の基(やいんのしろぜめははいぐんのもとい):【意味】敵の城に対して(その戦力を過小評価し、)無理に夜襲をかけるのはみすみすこちらの兵力を損耗するばかりで、かえって敵に逆襲の隙を与えることになるから得策ではない、ということ。(講談・太閤記:「欺かれたるは無念なれど、夜陰の城攻は敗軍の基でござる。今暫く御辛抱あれ」)
野猿坊の尻笑い(やえんぼうのけつわらい):【意味】猿が自分の尻の赤いことを棚に上げて人の尻を笑うように、自分の欠点に気づかず他人の欠点をあげつらう愚かな行いをいう「猿の尻笑い」(「猿の面笑い」)のこと。「野猿坊」は講談「国定忠治」にもある語句。また、「野猿を吹く」は入れ知恵をする、密告するの意。(講談・幡随院長兵衛:「イヤ乃公も若い時分にア隨分そんな事は幾何もあつた、野猿坊の尻笑ひだ、乃公ア入らねへと云やア、お前さんの折角の志を無にするやうなものだし」)
やかんの中の蛸じゃないが手も足も出ない(やかんのなかのたこじゃないがてもあしもでない):【意味】「手も足も出ない」(なすすべがないこと)に直喩をつけたもの。(講談・鼠小僧次郎吉、落語・梅若礼三郎:「こいつがもう博奕ですっかり取られちまってやかんへ入った蛸同様……」、真景累ヶ淵)
八寸に余れる駿足(馬)(やきにあまれるしゅんそく):【意味】肩の高さが四尺八寸を越える立派な体格の馬、ということ。(講談・寛永三馬術:「成程聞いたよりも立派なもの、八寸に餘れる駿足」他)
焼き餅は遠火に焼けよ焼く人の胸も焦がさず味わいもよし(やきもちはとおびにやけよやくひとのむねもこがさずあじわいもよし):【意味】嫉妬は直に相手に向かって表現すると殺伐としてしまうので、それとなく皮肉やほのめかしとして伝えるのが上品であり、波風も立たない大人のやり方である、ということをいう歌。(落語・喜撰小僧:「お焼きもちの噂をよく申し上げるようでございますが……“焼き餅は遠火に焼けよ焼く人の…胸を焦がさず味わいもよし”」、洒落小町)
焼け石に水(やけいしにみず):【意味】あまりの苦境に、いくら自分が頑張ったり人に助けてもらっても、大して役に立たないことのたとえ。(落語・うそつき弥次郎:「焼け牛に水というわけで……」)
焼野の雉子夜の鶴(やけののきぎすよるのつる):【意味】巣のある野原を焼き払われた雉子が、おのが身を忘れて子を守り、また寒い夜に鶴が巣の雛を守るために翼で覆うという言い伝えによる。子を思う親心の例え。(講談・名刀捨丸、慶安太平記、大岡政談村井長庵、安中草三郎、佐倉義民伝、大岡政談お花友次郎、落語・表札、寿限無、さら屋:「焼野の雉子夜の鶴、子に迷はぬ親はなしといふ事がございます」)
焼棒(木)杭に火がつく(やけぼっくいにひがつく):【意味】一旦別れた男女の「よりが戻る」こと。(講談・因幡小僧、小金井小次郎、落語・三枚起請:「焼棒杭に火がつきやすいよってに、逢戻りしてンのやないやろか」)
役者に年なし(やくしゃにとしなし):【意味】役者はどんな年齢の役でも演じることができるもので、年齢とともに芸が磨かれるためいつまでも年を取らないように見える。「芸人に年なし」とも。(落語・淀五郎:「いや、役者に年なしなんてえ事をいうが、やっぱりそうでもないね」)
厄と厄との間にできた子は育たない(やくとやくとのあいだにできたこはそだたない):厄年同士の夫婦の間に出来た子は健康に育たない、という俗信。(講談・野狐三次:「男の四十二と女の三十三、厄と厄との間にできた赤ン坊は育たねえというんで」)
ヤジリ切(やじりきり):【意味】家屋や蔵などの背面の壁を破り、侵入して盗みを働く者。(講談・鼠小僧、落語・居残り佐平次:「夜盗、カツサリ、ヤジリ切、悪いに悪いといふ事を仕尽しまして」)
安かろう悪かろう(やすかろうわるかろう):【意味】「価格は確かに安いだろうが、品質もよくないだろう」ということ。安物は所詮劣悪な物であることが多い。(落語・柳の馬場:「買いは買つたが、安かろう悪かろう。癖があつてどうにも仕様がない」)
弥助(やすけ):【意味】寿司のこと。芝居や浄瑠璃の「義経千本桜・すし屋の段」に出てくる三位中将維盛の変名。(落語・お化け長屋:「うん。あとで弥助でもとって、茶でも飲みましょう」、五人廻し)
安物買いの銭失い(やすものがいのぜにうしない):【意味】安価な物を買うと、すぐに不具合が起きたり壊れたりして、買い換えたり修繕したりと、結局費用がかかるので損だということ。(講談・大岡政談お花友次郎:「タダでできる、と思ったから、二、三度抱いて寝てみたが、安物買いの銭失い」)
痩せても枯れても(やせてもかれても):【意味】どんなに落ちぶれても(衰微しても)。(講談・鈴木重八:「痩せても枯れても武士の妻」、落語・ちきり伊勢屋、饅頭こわい、真景累ヶ淵)
弥蔵をする(やぞうをする):【意味】「弥蔵」は握り拳を人にたとえた呼び名。懐手をして、拳を作って着物を胸のあたりで突き上げるようにする職人や博打うちのしぐさ。(落語・竈幽霊、妾馬:「なんだって弥蔵をこせえるんだな」)
矢竹にはやる(やたけにはやる):【意味】「心は~」とも。心が勇みあせり、いらだつ様子。「弥猛・矢猛にはやる」とも表記。(講談・清水次郎長、大岡政談お花友次郎:「さあ私がここにいる事を早くお知らせ申したい、と心は矢竹にはやりましたが」、鉢の木ほか)
夜中深更に及ぶ(やちゅうしんこうにおよぶ):【意味】夜更けになる(まで何かする)こと。(講談・祐天吉松:「御免下さいまし、夜中深更に及びまして恐れ入りますが、一寸お開けを願ひます」)
八つ前の雨は降っているかと思うとすぐ上がる(やつまえのあめはふっているかとおもうとすぐあがる):【意味】午後早いうちの雨はひどい降りでもすぐにあがってしまう、ということ。(講談・中村仲蔵:「八つ前の雨てえのは降ってるかと思ううちにね、すぐ上がるもんでございますから、どうぞごゆっくりとお休みになってくださいまし」)(参照)→七つ下がりの雨と四十過ぎての道楽はやまない
やっぱり野に置けれんげ草(やっぱりのにおけれんげそう):【意味】(参照)→手に取るなやはり野に置け蓮華草に同じ。(講談・天保六花撰:「ところがかこってはみたがどうもおもしろくない、やっぱり野に置け蓮華草だったと三千歳と縁を切ってひまをやったとすれば」)
矢でも鉄砲でも持ってこい(やでもてっぽうでももってこい):【意味】強がりの文句の定番。どんな手を使ってもいいからかかってこい、受けて立つぞ、の意。(講談・小金井小次郎、関東七人男、落語・三方一両損:「くやしかったら、いつでもしかえしにこい。矢でも鉄砲でも持ってこい」)
宿小屋のない人間じゃない(やどこやのないにんげんじゃない):【意味】夫婦ゲンカの際、激怒した女房が「自分にはれっきとした実家があるんだから、たった今離縁してもらいたい」と夫に迫る時のきまり文句。(落語・子別れ:「宿小屋のねへ人間ぢやアねへから離縁状を認て呉ろと」、居残り佐平次)
柳の翠桜の紅(やなぎのみどりさくらのくれない):【意味】(参照)→花は紅、柳は緑を見よ。(講談・伊達誠忠録:「草も木も萠え始めて、柳の翠櫻の紅、誠に長閑な日和で御座います」)
やにをなめた蛙じゃないが(やにをなめたかえるじゃないが):【意味】やにをなめた蛙は腹の中のものをみな出してしまう、というところから、「こっちの腹の中をすっかり洗って話しましょう」と言う時の前ふり。悪党同士の駆け引きなどに出てくる言葉。(講談・天保六花撰:「やにをなめた蛙じゃあないが、はらわた洗っておはなし申しましょう」、安政三組盃)
矢筈を食う(やはずをくう):【意味】相撲でいう「はず押し」を食う。油断してこっぴどい逆襲を食う(ふられる)。(落語・おせつ徳三郎・刀屋:「愈々という所でドツコイ矢筈を食つたり、脊負投げを食つたりする」)
藪入りやなんにも言わず泣き笑い(やぶいりやなんにもいわずなきわらい):【意味】奉公にやった子供が、休暇で親元に帰ってくると、久しぶりに親子の再会となって、双方言葉もなくただ泣き笑いするばかりである、という情景をいう川柳。ちなみに「藪入り」は上方言葉で、江戸では「宿さがり」といった。(落語・藪入り:「藪入りやなんにも言わず泣き笑ひ…… ただいまでは、この句はお若い方にはわかりませんが」)
藪から棒(やぶからぼう):【意味】「藪から棒を出したように」の略。思いもかけない事態が突然起こること。「窓から棒」とも。(講談・清水次郎長、木村長門守、幡随院長兵衛、野狐三次、新吉原百人斬り、安政三組盃、落語・山崎屋:「余まり藪から棒の話で、お前さん怒つちやアいけないよ」、とんちき、乳房榎)《い》
藪に馬鍬の理屈をつけて(やぶにまぐわのりくつをつけて):【意味】「藪で馬鍬を引こうと言う」の略。「藪に真鍬」とも表記。無理難題・横紙破りをいうこと。(講談・鼠小僧次郎吉、夕立勘五郎:「夫がアゝいふ籔に馬鍬といふのは、何にか譯のある事と思つて居りました所」、越後伝吉)
藪の中にも剛の者(やぶのなかにもこうのもの):【意味】田舎者にも豪傑がいる、という意味と、藪医者の中にも巧者(名医に負けない腕を発揮する者)がいるのだ、という意味とがある。(講談・相馬大作:「ウーム、藪の中にも剛のもの、お前のような人がいるとは思わなかった」、新吉原百人斬り)
藪をつついて蛇を出す(やぶをつついてへびをだす):【意味】「ヤブヘビ」。しなくてもいいことをわざわざして、かえって災難を呼んでしまうことをいう。(講談・猿飛佐助、落語・しの字丁稚:「藪蛇ということはあるが、藪から虎を出してしもたがな」、真景累ヶ淵)
野暮と化物は箱根からこっちにはいない(やぼとばけものははこねからこっちにはいない):【意味】箱根以東には、野暮な者と妖怪変化はいない。江戸の人が江戸を自慢して言う言葉。(落語・朝這い:「野暮と化けものは箱根からこっちにはいないということを申します」)
病は医者が与るが、寿命は医者が与らない(やまいはいしゃがあずかるが、じゅみょうはいしゃがあずからない):【意味】病気を治療するのは医者の仕事であるが、当の患者の寿命ばかりは、医者がコントロールできるものではない(分を越えている)、という言葉。(講談・清水次郎長:「病は醫者が與るが、壽命は醫者が與らないといふのは此處だ」)
病は気から(やまいはきから):【意味】「病は気で持つ」とも。病気は患者の気の持ちようひとつで、重くもなれば快方にも向かうのである、という昔からの諺。「病は気で勝つ」(講談・大岡政談お花友次郎:「『病は気で勝つ』とか申しまして、あなたさえしっかりなすっておいでなされば、自然とご病気は治ります」)という言葉もある。(講談・忠僕直助、左甚五郎、幡随院長兵衛、相馬大作、柳沢昇進録、落語・春雨、三年目:「夫はいけません、病いは気で持つという」、下女の恋)(参考)→気から病が出る
山師の玄関(やましのげんかん):【意味】構えだけは立派であること。こけおどし、はったりの類のこと。「藪医者の玄関」ともいう。(講談・塚原ト伝:「併し山師の玄關と申してな、構へばかり立派でも、伊勢守それだけの腕前があるかどうか分らぬてな」、慶安太平記)
山高きが故に尊からず(やまたかきがゆえにたっとからず):【意味】「山高しと雖も尊からず、木あるを以て尊しとす」とも。山は単に高ければ貴いわけではない。同様に、人間は地位やうわべでなく中身(知や徳)が大事であるという例え。「実語教」冒頭の文句。(講談・猿飛佐助、落語・明烏、ぢぐち=地口合せ、鼻がほしい:「皆ひやん、ピヤンとお机に向つて………山高きが故に貴からず」)
山寺の鐘は千町万町響くといえど、撞木を当てなければ音が出ない(やまでらのかねはせんちょうまんちょうひびくといえど、しゅもくをあてなければねがでない):【意味】腹の中でどんなに高尚で良いことを考えていても、口に出して言わなければ価値がない、ということ。または、大層な能書きを並べていても、実力は実際に試さなければ分からないということ。(落語・なめる:「焦れってえなァ……『山寺の鐘は千丁万丁響くといえど、叩かねばその音色はわからねえ』なんて事をいうでしょう」、皿屋)(参照)→千両の鷹も切って放してみなければ分からない
大和根性牛根性(やまとこんじょううしこんじょう):【意味】大和の人は大変辛抱強いことをいう俚諺。似たような地方人気質をいうものに、「信州強情信州辛抱」という諺もある。(落語・土橋万才:「俗に、大和根性牛根性と申しますぐらい、大和の人は辛抱が強うござりますので」)
山と山とは出会わぬものだが人と人とは出会うもの(また会う道もある花の山)(やまとやまとはであわぬものだがひととひととはであうもの):【意味】「~また会う道もある花の山」と続く。苦しんでいるときに通りすがりの人に施しをしてもらい、礼を述べて名を尋ねたとき、相手が名を名乗らずに立ち去る場合に残す常套句。「名など名乗らずとも、またいずれお目にかかることもありましょう」の意。(講談・正直車夫:「山と山とは出会わぬものだが人と人とは出会うもの、どこでまた会い会わないという限りはない」、三家三勇士)
山に入って山を見ず(やまにいってやまをみず):【意味】「山に入る者は山を見ず」とも。物事の当事者というのは、目先のことにとらわれて、客観的になれず、大局を見誤る事が多いという例え。(講談・両越大評定、名月若松城:「山に入って山をみず、遠く仰いで、はじめて不二の雄姿を悟りましてござります」)(参照)→鹿を逐う猟師山を見ず
山伏の夕立(やまぶしのゆうだち):【意味】だじゃれ。夕立に遭うと、山伏は持っているホラ貝を笠の代わりに被る。よって「かいかぶる」ことをいう。人の器量を実際以上に見誤ること。(講談・大石内蔵助:「『何だい山伏の夕立といふのは……』『山伏が夕立に會ふと、持つて居る法螺の貝を笠の代りに被るから、かひかぶりといふことだ』」)
闇の夜に鳴かぬ烏の声聞けば生まれぬ先の父(母)ぞ恋しき(やみのよになかぬからすのこえきけばうまれぬさきのちちぞこいしき):【意味】道歌。一休禅師の作とも、足利義政の作ともいう。見えないものの聞こえない声を聞き、悟りを得ようとするという禅的な姿勢をいうものらしいが、この歌を引用した「緑林五漢録」では、単に生みの親を慕う子の心情を強調する意味に受け取られている。(講談・緑林五漢録~扇町屋の邂逅:「闇の夜に啼かぬ烏の聲聞けば生れぬ先の父母ぞ戀しきで誠の父は何國の人か母は如何なる素性なるか父なりとも母なりとも一ト目會て置たいと」)
闇の夜は吉原ばかり月夜かな(やみのよはよしわらばかりつきよかな):【意味】「暗の夜に此里ばかり月夜かな」とも。月のない真っ暗な晩でも、「不夜城」と言われた吉原ばかりは昼をあざむく明るさである、繁盛ぶりであること。(講談・横川勘平、伊達誠忠録、相馬大作、新吉原百人斬り、落語・文七元結:「五十両の金をふところへ、おもてへ出たが……闇の夜に吉原ばかり月夜かな……」、鼠穴、親子茶屋)
矢も楯も堪らない(やもたてもたまらない):【意味】思い詰めた気持ちや衝動などが、矢でも楯でも抑えられないほど強いことのたとえ。(講談・越後伝吉「サアもう国へ帰りたくて、矢も楯も堪りません」、落語・藁人形)
やらずの雨(やらずのあめ):【意味】まさに(惚れた)人をわざわざ帰さないためであるかのように具合良く降ってくる雨のこと。(落語・唐茄子屋、湯屋番:「そうだ、雨が降ってくるなんてのァいいね。やらずの雨なんて……」)
やらずぶったくり(やらずぶったくり):【意味】人に与えず、ただ奪うだけであること。正当な取引ではない一方的な略奪。「取り込むばかりで自分の方からは何もしないこと」と「大阪ことば事典」にある。「やらず逃さずぶったくり」とも。(講談・旗本五人男、落語・笠碁:「変な事を言うない、ちぇッ。やらずぶッたくりみてえなことを言やがる……」)
槍は刀より七分の利得がある(やりはかたなよりしちぶのとくがある):【意味】槍は柄が長い分、刀より有利であるということ。しかしながら槍の名人であった由井正雪の一党・丸橋忠弥は、自宅玄関先で八丁堀同心の馬込弥右衛門に手元へ飛び込まれて、組打ちになったあげく、馬込を投げ殺すものの遂に捕縛される。(講談・由井正雪:「槍は刀より七分の利得があるなどと申しますが」)
野郎意気地なくして飴やおこしを売る(やろういくじなくしてあめやおこしをうる):【意味】「男意気地なくして~」とも。「女氏なくして玉の輿に乗る」(参照)→女氏なくして乗る玉の輿を男性版に置き換えたパロディ。男は働きがなければどうしようもない生き物だ、という自嘲がこもる。(落語・妾馬:「野郎意気地なくしてあめやおこしを売る、なんてえことをいいますが、どうもこの、男の方はあまり、見染められて出世をしたなんてえのもございますまいが」)
やわか(やわか):【意味】否定的表現を伴い、「どうして~であろうか」の意。 漢字では「豈夫」などと表記。(講談・山中鹿之助:「遺恨重なる九郎左衛門、ヤワカ安閑と此の世に置くべきや」、難波戦記冬合戦、落語・不動坊火焔)
編:松井高志・2004-
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